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輪違屋

輪違屋(わちがいや)とは、現在も営業している京都の花街、島原の置屋兼お茶屋です。
創業は1688(元禄元)年、養花楼という名の置屋として創業しました。
お茶屋を兼業したのは1872(明治5)年です。
現在の建物は1857(安政4)年に再建されたものです。
かつては芸妓等も抱えていましたが 現在は太夫のみを抱え、太夫の教育の場であり、また、宴席の場として営まれている。
表に「観覧謝絶」の札があるが茶屋であるので客としては入ることができます。
伝統建築が身近に見られることは京都の魅力の一つです。







歌舞練場跡記念碑


碑には
島原歌舞練場は、明治6年(1873)上之町に島原女紅場として開設され、青柳踊や温習会が上演されていたが、同14年頃には衰微を極め、青柳踊等も頓挫した。その後景気の回復により、太夫道中が再興され、歌舞練場が常にその巡行の拠点としての役割を果たしていた。しかし、当初の歌舞練場は、狭隘にして、かつ貸座敷組合事務所との共用であったため、昭和2年(1927)に中之町の現在地に移転し、本格的な劇場施設として新築された。それ以来、この新歌舞練場は、歌舞会にあたる養柳会が運営にあたり、歌舞音曲の練習発表の場として、毎年温習会が開催された。戦後の同22年以降は島原貸席お茶屋業組合の事務所としても使用されてきたが、平成8年(1996)同組合の解散に伴い、歌舞練場を解体し、歌舞練場120余年の歴史を閉じることとなった。
また、天保年間の島原鳥瞰図によると、当地はもと稲荷社が鎮座していたことから、この大榎には、歌舞練場解体時までその根元に祠が祀られていた。約200年の樹齢を誇るがごとく、樹高は15m、幹周も2mとなり、今なお神木としての威厳を留めている。
ここに記念碑を建立し、花街の象徴であった歌舞練場と古木の由来を刻するものである。

平成13年11月吉日 島原伝統保存会
また歌人吉井勇の
宝暦のむかしの夢は見ば見つれ夜半の投節聴くよしもなし 吉井勇
歌も刻まれています。

CANON IXY DIGITAL 510IS


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