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6月, 2018の投稿を表示しています

阪神・淡路大震災慰霊と復興モニュメント

「慰霊と復興のモニュメント」は、地上は噴水になっており、地下には、「瞑想空間」が作られています。地下の「瞑想空間」には、大震災で亡くなられた6434人の方々のお名前が刻まれた銘板を掲示しています。地下の「瞑想空間」は一般開放されています。私もかっては神戸市民であり勤務したこともあり慰霊のためこの地な立ち寄った際には祈りを捧げています。 国土技術研究センターによると日本の国土の面積は全世界のたった0.28%しかない。しかし、全世界で起こったマグニチュード6以上の地震の20.5%が日本で起こり、全世界の活火山の7.0%が日本にあります。また、全世界で災害で死亡しぼうする人の0.3%が日本、全世界の災害で受けた被害金額の11.9%が日本の被害金額となっています。このように、日本は世界でも災害の割合が高い国だ。というデータがあると報告されています。それにしても最近の大阪北部地震にみられるように行政機関の認識は前例主義で事故や被害がなければ対応しないという後ろ向きの姿勢はこのデータをしっかり認識しなければならない。と慰霊碑を訪れに考えさせられました。

さくら夙川駅 72レ EF65-2085

昨年からおよそ10ヶ月以上も立ち寄ることのなかった駅からの撮影です。すっきりしない天候が残念でしたが退職となり鉄道クラブの友人に誘われて最近鉄道写真に取り組んでいますと話しを聞きながら日差しに耐えて待機しつつ撮影できました。今回は遅れもなく通過しています。 最近は体調の関係で自宅近くを選んでレンズを向けています。 2000番台への改番時は赤プレート・金文字であったナンバープレートが赤プレート・銀文字になるなどより国鉄時代に近づけているEF65は最近阪神間でみられるようになり人気があります。私も情報を得てさくら夙川で撮影しました。 さらには221系もいずれ置き換えられることも予想されるため努めて撮影しています。

芦屋鉄道紀行  RED BEAR 8660レ DF200-222 続

昨日の続きです。 ECO-POWER RED BEAR(エコパワーレッドベア)という愛称がつけられ、車体側面にロゴが描かれています。速度が遅くのんびり撮影することができました。コキの回送では軽やかな音を残して走行するのですが。阪神間では回送列車で見られる機関車でありDE10に牽引された貴重な画像だと思いつつ撮影した次第です。

芦屋鉄道紀行  DED BEAR 8660レ DF200-222

暑さに耐えてカメラを向け続けてもゆっくりした速度で機関車が近づき何故かと思わずファインダーから目を離し見つめてしまった。静かに近づいてき来るのに少し驚かされた次第です。 踏切警報音もなり続けていますが時間調整なのか静かに通過したのには驚かされました。先日の大阪北部地震では遮断器が降り長時間閉鎖されたとのことでしたがそれにしても長く鳴り響いていましたが撮影時間はたっぷりありました。 DF200形が川崎重工から検査完了で回送されるとのことで自宅近くで撮影できました。5分近く早く接近したのですが50キロ近くのゆつくりした速度でしたのでこのような機会はないだろうと思いつつ焦点を変えつつ20枚近くかぶることなく撮影できました。阪神間ではみられない機関車であるため楽しい時間でした。 そしてなせか一人だけの撮影でいつものなら脚立や大型三脚のマニアで賑わうのですが不思議なことでした。

神戸フラワー道路 彫刻の道散策

作品名 レダ   作者 桜井 祐一 素材 ブロンズ  サイズ 110×60×115(cm) 設置年 1982年 作品名 湖風  作者 一色 邦彦   素材 ブロンズサイズ 70×110×45(cm) 設置年 1981年 作品名 帽子・裸婦 作者 佐藤 忠良 素材 ブロンズサイズ 118×35×40(cm) 設置年 1981年 困っている道祖神 作者 木村 賢太郎 素材 御影石 サイズ 120×50×50(cm) 設置年 1981年 作品名KAWASAKIへの道(瞑想のための彫刻) 作者 カール・プラントル(オ-ストリア) 素材 ステンレス   サイズ 25×612×105(cm) 設置年 1971年 作品名 愛「仔馬の像」作者 柳原 義達 素材 ブロンズサイズ 210×72×160(cm) 設置年 1966年 彫刻も設置年月が古く目新しさもなくなりつつあるようですが都市の景観として必要なのですが、多種多様な思いつきの発言に振り回されてなくなることはあっても増えることはないようです。それにして違法駐車や駐輪でアングルが決められないのは残念なことでした。

東海道本線 さくら夙川駅 EF200-19

夙川の守具橋梁からの画像です。金網で頑丈に閉鎖されていますがそのわずかな隙間からの撮影です。マニア対策でいずれ撮影もできなくなるりでしょうか? 青空の日に再度撮影したいものです。

東海道本線 加島跨線橋

2077レ はまかぜ2号 こうのとり8号 2073レ はくと4号 神戸線架線事故のためダイヤは相当乱れていましたが50分遅れで通過した72レ撮影までの通過列車です。 数少ない阪神間通過の特急列車が撮影てきました。久しぶりの撮影でしたので長居しています。

阪急三宮西口商店街 続

高架下商店街の風景です。意外と人通りも多く温もりのある通りです。古い衣類も見られます。神戸勤務の際にはここで食事や飲み会をしたことを懐かしく思っています。

阪急三宮西口商店街

高架下の商店街の雰囲気は時代に取り残されたかの風情がありますが、フェイクニュースや租税廻避やそして偽装に特化した世相と時代を映しシャッター街化してるのですがそれに耐えていることは頼もしくもあるのは寂しく思っているのですが。

東海道本線 加島跨線橋 72レEF65-2089

久しぶりの撮影ですがEF65形式撮影で賑わつていましたが架線事故の影響で50分遅れで通過した頃には少なくなっていました。

神戸花隈城跡

久しぶりの地震で驚かされました。23年前の阪神大震災に比較して被害は少ないとはいっても日本全国であちこち群発するのも自然のなせる現象とは言え余震も多くしばらく我慢せざるを得ないですね。 1568(永禄11)年に摂津国守護・和田惟政によって築かれた花隈城は、1574(天正2)年には織田信長の命を受けた荒木摂津守村重公の手によって大幅に改築されます。およそ東西350m、南北200メートルほどの広さを誇る、山陽道東西の陸海の交通に睨みを利かせる重要戦略拠点となりました。 しかし花隈城は、1580(天正8)年7月にあえなく落城。城将大河原具雅は自害しここに13年後には廃城となっています。。