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8月, 2021の投稿を表示しています

戦後76年 神戸三ノ宮駅周辺 戦争の痕跡の記録

           米軍撮影画像 19458月 国鉄三宮駅 阪急神戸三ノ駅            駅交差点は加納町交差点 神戸市電の交差点も確認できる。   神戸大空襲の状況 アメリカ軍による日本本土への空襲は、昭和17(1942)年4月18日に、東京・名古屋・四日市・神戸などを空襲したのが最初で、神戸では、兵庫区中央市場付近が被害を受けたが、本格的なものではなかった。  神戸市域に対する無差別焼夷弾爆撃は、昭和20(1945)年2月4日に初めて行われた。これは、それまでの空襲が軍事施設や軍需工場への精密爆撃から焼夷弾による爆撃へと方法を転換するための実験的焼夷弾攻撃であった。  神戸市域に対する無差別焼夷弾爆撃が、3月17日未明の大空襲により、兵庫区、林田区、葺合区を中心とする神戸市の西半分が壊滅した。また、5月11日の空襲では、東灘区(当時は住吉村)にあった航空機工場が目標とされ、爆弾による精密爆撃が行われた。この空襲では、灘区・東灘区が被害を受けた。さらに、6月5日の空襲では、西は垂水区から東は芦屋・西宮までの広範囲に爆撃され、それまでの空襲で残っていた神戸市の東半分が焦土と化し神戸市域は壊滅した。  神戸空襲による現在の神戸市域の被害は罹災者総数53万858人、死者7,491人、重軽傷者1万7,002人、被災戸数14万1,983戸となっているが、この数字は確定したものでなく、実際はこれを上回る膨大な損失であった。また、神戸市の人口千人当たりの戦争被害率は47.4人であり、五大都市(東京・大阪・名古屋・横浜・神戸)で最高を示したのである。                                                   「新修神戸市史 歴史編4 近代・現代」          JR三ノ宮駅 阪急神戸三宮駅と駅ビル     2021年撮影          JR三ノ宮駅 歩道橋に残る銃撃の痕跡 戦闘機は駅構内、鉄橋等人が避難 する箇所を銃撃そして焼夷弾で爆撃したと記録されています。          阪急神戸三宮駅ドームに残る焼夷弾爆撃の跡。高熱で支柱が歪んでいる 阪急神戸三宮駅上りホーム 上部の米軍撮影のモノクロ画像           の焼け野原となった街並みに黒色の部分のドーム屋根がこの現在           の神戸三宮駅です 生田森

保存機関車 荷物車 車掌車 三田はじかめ池公園

 ウッディタウン(三田市)はじかめ池公園に「夢サンディ号」としてD51-25(1963年川崎車両製造 !D1テンダー機関車)と荷物車、車掌車と2軸の動輪が展示されています。ストック画像すらの掲載です。10年近く前に撮影た画像ですので保存状態はよくみえますが最近は落書き等で相当汚染されているとのことです。 機会があれば再訪したいものです。  

阪急神戸三宮駅 8000系

阪急神戸三宮駅で下車した際、コロナ禍で鉄道写真の撮影ができなかったことに気づき300 ㍉で静かに撮影した画像です。 山陽電鉄の6000系を撮影したかったのですが時間の関係でかないませんでした。  

京都 花の寺法金剛院 蓮華 

         仏教と蓮の関連について調べたこともありましたが宗教に関わることが多く時間を用した記憶があります。 仏教では泥水の中から生じ清浄な美しい花を咲かせるハスの姿が仏の智慧や慈悲の象徴とされています。コロナ禍で国土がウイルスに汚染されて生きがたい時代から脱出するために仏の慈悲にすがり蓮華の力強い魂にお願いして蔓延した悪病を根治してほしいと願うばかりです  

戦争76年 戦争の痕跡 東海道本線三ノ宮駅加納町第一架道橋

      JR三ノ宮駅下り線の橋桁に76年前の米軍の機銃掃射の痕跡が残されています。何度       か塗装がされていますが銃弾が貫通した跡が明確に見ることができます。      この歩道橋は兵庫県道30号線新神戸停車場線と名付けられていますかこの歩道橋はあ      まり利用することはなかったのですが、幼い頃機銃掃射を受けた経験もあり戦闘機か      らの機銃掃射の弾痕の痕跡を見て恐怖を感じたこともありました。      現代はほとんど知る人もなく通りすぎているようです。 米軍の空襲は、米郡の作戦要務令報告によれば、1944年11月から1945年8月まで神戸市上空にアメリカ軍機があらわれたのは総計84回である。記録されている。   そのうち、神戸大空襲とは、マリアナ基地のB29部隊が、神戸(市街地あるいは軍事目標)を第1目標として攻撃した。 なお、その他神戸沖への機雷封鎖や模擬原爆の投下もおこなわれた。  神戸市内には戦争の痕跡は兵庫や旧居留地そして深江にも残っている。撮影したが外付けディスクがダウンし消滅してしまったことが惜しまれます。  戦争の歴史は人類が登場して以来おこなわれてきたとのことですが、歴史を学ぶことは人間としてもっとも大事なことだと考え掲載しています。  

阪急神戸三宮駅に残る戦争の痕跡

戦後76年経過しましたが、戦争のあった日を思い出しました。 神戸市文書館の保存資料の米軍作戦任務報告第43号の軍事記録によれば、1945年3月17日、5月11日、6月5日と、3回にわたる米軍の「大空襲」で、10数万の焼夷弾が投下され、神戸の主な市街は焼き尽くされた。神戸大空襲は、尼崎、姫路、明石など兵庫県内の都市を標的にした一連の空爆の中で、最も規模の大きなものであった。1936(昭和11)年、大阪と神戸の中心地同士を結ぶために阪急神戸本線が延伸され、その際に神戸駅(現在の阪急神戸三宮駅)と一体で建設されたのが、神戸阪急ビル東館(以下、旧ビル)と西館だった。  さらに神戸沖には、5月3日から機雷投下がはじまった。さらに7月24日には、神戸市にある川崎車両、三菱重工業、神戸製鋼所、国有鉄道工場(鷹取工場、Imperial Government Railway Shops)に模擬原爆が投下された。原爆投下のための訓練として、爆薬が装てんされたプルトニウム型原爆(長崎型原爆)と同重量、同型のパンプキン爆弾の目標となったのである。この画像は、ドームの駅舎の側面と天井に焼夷弾のによる爆撃、機銃掃射により破損した箇所が丁寧に修復されています。 以前撮影した際と同じように思えましたが76年経過しても戦争の甚大な被害の大きさに驚かされました。  

仁王像 喜光寺 当麻寺

当麻寺 仁王像  喜光寺仁王像 奈良當麻寺と喜光寺の仁王像です。 ストック画像からの掲載です。喜光寺の南大門は戦国時代に焼失し450年後の2010年に再建されています。仁王像は彫刻家中村晋也氏の作品です。 当麻寺は何度か拝観していますがいつもこの仁王像とお会いして境内に入っています。次回は何時の日に行けるのでしようか  

頭塔 奈良時代の仏塔 

土で築かれた方形七段の塔です、1・3・5・7の各段に11基の石仏が整然と配置され一つづつ観察するとそれぞれ趣がありました。私の好きな奈良の名所です。