スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

7月, 2018の投稿を表示しています

芦屋鉄道紀行 打出村踏切 

在庫からの掲載です。打出村踏切と楠公園のベンチで休む際に撮影することが多くなりました。踏切は交通量も多く車が必ず停車しいていますが撮影する機会が多いと好きなアングルからレンズを向けることに気づき撮影場所に選ぶことが多くなりました。

芦屋鉄道紀行 打出村踏切 72レEF65-2089

2018年西日本豪雨の影響で山陽線は不通となり広島以遠は運転休止となっていますが四国方面の列車は運転されているようです。この画像は6月に撮影しているのですがあれこれ所要がが重なり建造が追いつかず失念して掲載が遅れています。 猛暑の傍ら撮影を計画していますが時節柄自制しています。

福知山線旧線  生瀬・武田尾間

生瀬・武田尾間は1981年に現在の線路に移設されたていますが、旧線は現在福知山線廃線敷ハイキングコースとして整備されています。大阪からも30分と近くハイキングやレジャーで楽しむ人が多く人気のあるウオーキングコースとなっています。 この画像は1968年前後に会社のレジャーでハイキングにでかけて一日中楽しんだ際に撮影した画像です。場所は武庫川の右岸からでカメラは当時使用していたミノルタSR-1で撮影しています。いまから考えると撮影枚数は少なく貴重な画像だと考えています。

大阪駅北ビル俯瞰  うめきた広場工事

七月豪雨後の猛暑で出かけることも少なくなりましたがあれこれ処理する事案も多くなり何とか崩れがちな体調をなだめつつ過ごしています。 北梅田駅の工事も順調に進んでいるようです。次回は梅田スカイビルからの撮影にでかけたいものです。

梅田貨物線 梅田信号場  大阪駅ノースゲートビル

    1080レ EF210                                 1081レは梅田信号場で待避します。特急はるか、くろしお号とうめきた広場が完成すると撮影もできなくなります。都市風景記録のため撮影しています。 1081レ  EF66 1081レ  EF66 「うめきた」はもともと貨物駅があったエリアで、以前は大阪北ヤードと呼ばれていました。 全体面積は24ヘクタール。そのうちの7ヘクタールがグランフロント大阪として先行開業しています。  うめきた2期工事は残る17ヘクタールの開発です。 2018年7月13日に事業者が決定しました。グランフロント大阪の開発を主導した三菱地所を代表として、 大阪ガス都市開発、オリックス不動産、関電不動産開発、積水ハウス、竹中工務店、阪急電鉄、三菱地所レジデンス、うめきた開発特定目的会社が参画しています。 JR大阪駅の北側「大阪最後の一等地」と呼ばれる場所でありながら中央部に4.5ヘクタールもの都市公園を整備する大胆な計画です政治家や業者の乱開発の介入を阻止して大阪の緑豊かな空間が存在する都市格向上が図られるようにさせたいものです。 計画ではうめきた2期エリアは車道によって南北に分断されますが、休日は歩行者天国になりそうな感じ都市公園「リフレクション広場」10,000人規模のイベントに対応広大な都市公園は、梅田の景色を一変させるだけの公園となるようです。2024年夏のまちびらきを目指しています。完成すれば梅田地区は一変することが予想されます。

大阪国立国際美術館

肥後橋に所要があり、暑さにも耐えて大阪国立国際美術館を訪ねました。 建物の外観は、竹の生命力と現代美術の発展・成長をイメージしてデザインされ展示は地下三階ということで一度入館し圧倒されました。 設計は、マンハッタンのバッテリーパークにある「ワールドファイナンシャルセンターとウィンターガーデン」などを手がけた、アルゼンチン生まれのシーザー・ペリ氏です。 地下1階は入場無料のフリースペースになっているのですが久しぶりに訪れたのですが休館日でした。 しばし滞在のみ外観を撮影してみました。

東海道本線 芦屋・甲南山手間 72レEF65-2060

在庫からの画像です。1ヶ月近く前に撮影し掲載することを失念していました。梅雨明けもしましたが被害も多く西日本では貨物列車は集中豪雨の影響でほとんど運転されない状況で物流に大きな支障がでているようです。1日も早い復旧を望みたいものです。

神戸 東遊園彫刻あれこれ

日本近代洋服発祥の地 作品名 日本近代洋服発祥の地記念彫刻 作者 環境造形Q 素材 御影石 サイズ 50×375×200(cm)(他3点) 設置年 1974年 作品名 加納宗七像 作者 福田青陽 素材 ブロンズ サイズ 45×20×20(cm) 設置年 1981年  東遊園地のそばの道路はかっての生田川跡した。河川工事は明治4年3月から行われ、突貫工事の末、わずか3ヶ月間で幅約180m、深さ4.5m、延長1.8kmの新しい流路の河川が完成しました。新川の完成で不要になった旧河川の敷地と沿岸の土地の払い下げを受けた武士であった加納宗七は、その中央に幅18mの道路を設け、周辺を宅地に造成しました。それが現在の加納町であり、当時設けたメイン道路が現在のフラワーロードになりました。  その後、昭和7年交通や衛生対策や土地利用の観点から、都市計画事業により新生田川は鉄筋コンクリート製ボックス型の暗渠となり、地上部には遊歩道が整備されました。  しかし昭和13年7月3~5日、台風に刺激された梅雨前線が神戸市周辺に集中豪雨をもたらし、死者616名、被災家屋89,715戸にも及ぶ大災害をもたらしました。阪神大水害です。芦屋~須磨までの全ての河川が氾濫し、土石流が流れ込んだ市街地は泥の海と化した。移設された新生田川には、土砂や大木、巨岩により暗渠の入口がふさがれたため、土石流があふれ出し周辺に大きな被害を及ぼしました。洪水が昔の流れに沿って生田川跡のフラワーロードを流れ下ったのです。  この災害をきっかけに、コンクリート製の開渠として復旧され、現在の生田川にほぼ近い形状となりました。この地を濁流が流れ大きな被害があったことを思い出しました。  ふれあいの滝 作品名 ふれあいの滝 作者 新谷 英夫・ユウキ・澤子・英子 素材 ブロンズ(14体) サイズ 150×140×13(cm) 設置年 1981年 大雨洪水警報の日々を過ごしてい来ましたが、六甲山麓では今年も豪雨があると被害もあり、自宅近くは高台で避難勧告地区に含まれていないのですが道路等は土砂で埋まっていることも見られました。 六甲山は急傾斜地も多く過去の土砂崩壊からいろいろな砂防ダムが設備されています。そして河川は直線状が多く豪雨があれば普段は穏やかな水

芦屋鉄道紀行 芦屋・甲南山手間EF210・EF200

三条街道踏切付近と芦屋橋からの画像です。最近モノクロ撮影に魅せられ時々撮影しています。古いネガが見つかりかってフイルム現像に取り組んだこともありその魅力を思いだしてしまったようです。

芦屋鉄道紀行 さくら夙川・芦屋間

ダイヤが乱れ遅れがありさらに暑さにも耐えかねて数本撮影して帰宅した次第です。モノクロに変換しき記録しています。 最近撮影しているのですが遅れがあり待ちぼうけすることが多くなりました。

芦屋鉄道紀行  楠公園 EF210-103

 EF210形をすべて撮影することにチャレンジしていたのですが運用を調査してもいますが時間の関係で実現てきそうにもありませんが可能な限り撮影しています。 打出村踏切と近くの楠公園の画像です。この日は暑くもあり木陰で休みつつ通過する列車を幼児も遊ぶ姿もなく好きなアングルで撮影してみました。時間帯の関係もあり何度か訪れているのですが気にいった画像はなかなか得られません。

神戸 フラワー道路 彫刻の道 続

作品名 マスクA 作者 清水 九兵衛 素材 ステンレス・大理石 サイズ 180×100×100cm 設置年 1981年 作品名 虹の石 作者 河口龍夫素材 黒御影石 サイズ 64×270×200cm 設置年 1981年 作品名 愛「仔馬の像」 作者 柳原 義達 素材 ブロンズサイズ 210×72×160cm 設置年 1966年 作品名 スペ-スアイ作者 多田 美波 素材 アクリル サイズ 200×200×15cm 設置年 1981年 作品名 シオン 作者 舟越保武 素材 ブロンズサイズ 120×32×32cm 設置年 1981年 ほとんど40年近く前の作品ですが道路沿いに保存されています。久しぶりに撮影したのですが最近の作品は見られません。この理由は、悲しいかな現代社会を反映しているのでしよう。若い女性や欧米人がIPhoneで撮影しているのですが、少しでもうるおいのある都市空間が望ましいのですが・・・・・・