スキップしてメイン コンテンツに移動

神戸 東遊園彫刻あれこれ


日本近代洋服発祥の地

作品名 日本近代洋服発祥の地記念彫刻
作者 環境造形Q
素材 御影石
サイズ 50×375×200(cm)(他3点)
設置年 1974年

作品名 加納宗七像
作者 福田青陽
素材 ブロンズ
サイズ 45×20×20(cm)
設置年 1981年

 東遊園地のそばの道路はかっての生田川跡した。河川工事は明治4年3月から行われ、突貫工事の末、わずか3ヶ月間で幅約180m、深さ4.5m、延長1.8kmの新しい流路の河川が完成しました。新川の完成で不要になった旧河川の敷地と沿岸の土地の払い下げを受けた武士であった加納宗七は、その中央に幅18mの道路を設け、周辺を宅地に造成しました。それが現在の加納町であり、当時設けたメイン道路が現在のフラワーロードになりました。
 その後、昭和7年交通や衛生対策や土地利用の観点から、都市計画事業により新生田川は鉄筋コンクリート製ボックス型の暗渠となり、地上部には遊歩道が整備されました。
 しかし昭和13年7月3~5日、台風に刺激された梅雨前線が神戸市周辺に集中豪雨をもたらし、死者616名、被災家屋89,715戸にも及ぶ大災害をもたらしました。阪神大水害です。芦屋~須磨までの全ての河川が氾濫し、土石流が流れ込んだ市街地は泥の海と化した。移設された新生田川には、土砂や大木、巨岩により暗渠の入口がふさがれたため、土石流があふれ出し周辺に大きな被害を及ぼしました。洪水が昔の流れに沿って生田川跡のフラワーロードを流れ下ったのです。
 この災害をきっかけに、コンクリート製の開渠として復旧され、現在の生田川にほぼ近い形状となりました。この地を濁流が流れ大きな被害があったことを思い出しました。
 ふれあいの滝

作品名 ふれあいの滝
作者 新谷 英夫・ユウキ・澤子・英子
素材 ブロンズ(14体)
サイズ 150×140×13(cm)
設置年 1981年

大雨洪水警報の日々を過ごしてい来ましたが、六甲山麓では今年も豪雨があると被害もあり、自宅近くは高台で避難勧告地区に含まれていないのですが道路等は土砂で埋まっていることも見られました。
六甲山は急傾斜地も多く過去の土砂崩壊からいろいろな砂防ダムが設備されています。そして河川は直線状が多く豪雨があれば普段は穏やかな水の流れも激流となり亡くなられた方も多くおられます。山麓の宅地造成で傾斜地にも一戸建てやマンション等も建設がされています。今回も土砂崩壊で被害があったようです。山歩きで下山していると配達なのか軽自動車がエンジンをふかして歩くよりも遅い速度でかろうじて坂道を登る景色を何度も見たこともあります。
ようやく青空も見え梅雨明けも発表されました。呉市の高齢の知人宅付近がニュースでは浸水したとのことで電話も通じず心配していたのですが昨夜自衛隊のボートで避難したとの連絡があり安心したのですが道路網が寸断され避難所では食事も水も不便だと思われます。私も洪水等で床上浸水、電車で一夜を過ごすなどしたこともあり早く復旧することを願うばかりです。

コメント

このブログの人気の投稿

芦屋の邸宅 六麓荘町の街並み

自宅近くにある豪邸のある町ですが訪れる機会も少なく時折散策することもありますが歩く人も少ないのですが最近は景気も上向きか改築される家が多くなって変化していいるようです。  sony   NEX-5   E18-55      F3.5-5.6   OSS     

芦屋だんじりの歴史

戦前まで芦屋市内には8基のだんじりがあった。打出(かっては4基)、津知、三条の旧村落に1基、芦屋村の山芦屋、東芦屋 西芦屋 茶屋芦屋 浜芦屋の5集落の5基だった。 これらのうち、三条、津知の両村は近世以前、本庄9ケ村と称して現在の神戸市東灘区区域の村々(森 中野 小路 小路 北畑 田辺 深江青木)とともに保久良神社の氏子として、古くは5月13,14日の祭にだんじりを曳いていた。 打出のだんじりは10月17日に打出天神社の祭に、他の5基は10月15,16日の芦屋神社の祭に巡行が行われた。 このうち山芦屋、打出の2基は現存する。津知、西芦屋 茶屋芦屋 浜芦屋のだんじりは戦災で焼失し、東芦屋は解体、三条は売却された。 打出のだんじりは、近年まで天神社の祭日に境内南方のだんじり倉から出されて飾りつけられていたが、ここ数年は巡行が有志の手で復活された。  打出地車 翠ケ丘町 打出地車 親王塚町 一方山芦屋では、交通事情や曳き手不足で昭和36年から48年には地車曳きは断続的になった。しかし昭和48年山之町地車愛好会が結成され、今日では10月15,16日にもっとも近い土曜、日曜日に市内巡行が続けられている。山之町のだんじりは、明治9年製で明治40年頃兵庫区から購入されたもので、正面には素戔嗚尊ま大蛇退治、泥幕には義経の八艘跳や近江八景 脇障子には源平の敦盛と熊谷などの彫刻を持っている。また後方の小屋根の下には、賎ケ岳の戦いや加藤清正の虎退治が彫られている。だんじりは、昭和53年に大修理が行われた。また、装飾幕が2枚あり、古い方には龍や牛若丸、新しいのは南北朝の忠心(楠木正成 新田義貞 児島高徳)の図が描かれている。   山之町地車  阪神芦屋駅前 山之町地車  精道町 だんじり内では、太鼓 2丁鐘 半鐘が入り地曳きに際して、出発、廻る、前進、後退、宮入り 地囃子 の六種だんじり囃子が奏される。 1979年当時は芦屋市のだんじりは2基が現存していた。と30年近くの古い資料ではあるが芦屋の生活文化史(1979)にだんじりの歴史が記録されている。 その後の推移として記録すると 打出地車、打出地車愛好会が運営、神戸型。昭和9年(1934)10月16日、新調入魂式。大工は植山宗一郎。彫師は

神戸電鉄鈴蘭台一本松踏切鉄道画像

神戸電鉄は輸送人員が長期にわたり減少傾向にあり、2011年度は27億円の赤字で経営改善のため設備投資を低い水準に抑制せざるを得ない状況にあり4両編成の車両もワンマン運転である。乗車券は回収されず駅での対応する都市型ワンマン運転となっています。経営改善のため粟生線の廃止も検討されています。 また一方では古びた車両も多く見られ老朽化施設が多く施設の更新改良が進展していないように見かけます。 このため阪急阪神グループとして神戸電鉄の安全確保の為、国の補助制度を利用して施設改良を行い、鉄道を近代化し経営・サービスを改善することがすすめられているとのことですが鉄道経営は大変な時代となっているようです。 NIKON   D3  AF-S  VR NikkorED 24-70mmf2.8 G ED  NX2