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投稿

3月, 2007の投稿を表示しています

なまず石

阪神大震災で荒地山山頂附近から200m近く落下した推定500トン近くの巨石です。なまず滑りという岩場の岩石ですが、撮影の方法でなまずの頭のように見えます。 Okuyama Ashiya

メニュー

時折利用するするレストランのメニューです。 Asahigaoka-cyo Ashiya

芦屋の洋館

Yamate-cyo Ashiya

不在

Yamaashiya-cyo Ashiya

車輪

役割を果たした荷車の車輪は、ガーデニングのアクセサリとしてよく飾られています。 Asahigaoka-cyo Ashiya

尾道風景

何度か訪れた坂のある町尾道の風景です。

土塀

Snjyo-cyo Ashiya

追分の碑

武生から河野浦に通ずる馬借街道の碑です。

俯瞰

標高500m附近からの芦屋市内俯瞰です。大阪市内のヒートアイランド現象のせいか視程は悪く金剛、葛城等の山はめったに定かに撮影することはできません。 Okuyama Ashiya

Cake

人口に比較すればケーキ店が日本最大の都市は芦屋であると語られています。年のせいか京都の和菓子が好ましいが味わう機会は多いようです。 神戸にも多いケーキ店ですが有名になると東京出店や店舗拡大等により味はどうも維持できないようです。 味にはうるさい人が多いのでしょう。 Omasu-cyo Ashiya

架道橋

摂津本山駅近くの東海道線の架道橋です。開通以来線増工事が行われ4線運転となってますが、いまなお煉瓦の擁壁が鉄道輸送を支えています。

芦屋市触覚模型

この上を歩くと芦屋市の概況が分かるようになっています。 また、この場所はBC7000年前の縄文遺跡発掘の地として知られています。 Asahigaoka-cyo Ashiya

コダック館

1970年の万博の画像です。EX64で撮影したポジをスキャンしました。

右近家

江戸時代から明治にかけて北前船の拠点港であった河野浦の船主の館右近家の蔵です。北前船の船主の館として見学が可能です。 敦賀から甲楽城、河野浦は海上輸送ルートとして「海上七里」として万葉時代から既に利用されていました。

月見橋

山陽道を走るために抜け道としてよく利用する道です。すっきりした風景が気に入り散策しカメラにおさめました。 Rokurokuso-cyo Ashiya

黒岩

時計

都心を歩くと時計による企業の広告が以外と多いことに気づかされます。それぞれ趣向を凝らしデザインとしても優れ街に溶け込んでいます。 Umeda Kitaku Osaka

洗面所

米原駅上り在来線ホームに残されています洗面所です。蒸気機関車全盛時代の無くてはならない設備でした。夜汽車で旅してここで顔を洗ったことを思いだします。 いまはほとんど残っていないようです。

芦屋の洋館

Hirata-cyo Ashiya

鉄道廃線敷

1986年(昭和61年)8月に宝塚・新三田間が新線開通により生瀬・道場間が廃線となりレールは取り外されましたが鉄橋等はのこされました。20年が経過しましたが列車が運転されてもおかしくない廃線敷です。ハイキングコースとして多くの人に親しまれています。

路地

静かなひととき歩く人もいないようです。

梅川像

JR尼崎駅のペデストリアンデッキに建立されています近松門左衛門の戯曲で有名な「冥途の飛脚」のヒロイン梅川の像です。

Umeda Kitaku Osaka

新駅

新駅開業工事中の風景です。昔懐かしい貨物列車が併行していましたので撮影しました。 西ノ宮・芦屋間。

とんがり山

篠山市の四斗谷から撮影しました。標高620mのとんがり山です。マイナーな山でしたが最近はよく歩かれているようです。

親王塚

伝阿保親王塚として管理されていますが、4世紀頃の古墳とされています。管理されていたため乱開発されず高級住宅地に奇跡的に残ったことになります。 Midirigaota-cyo Ashiya

銭湯

歴史を秘めた銭湯で、いまなお木材で湯を沸かしているとのことです。この湯に入ると身体の中から暖まると通りすがり人から教えられました。 高砂市鍛冶屋町

有馬鉄道モニュメント

かって三田駅から有馬駅まで営業した12.2kmの国鉄有馬線のモニュメントが有馬駅跡の乙倉橋に掲出されています。 大正4年(1915年)4月開通し昭和18年(1943年)7月戦時中の資材不足のため篠山線建設のため廃線となりました。