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1月, 2010の投稿を表示しています

戎橋夕景その2

昨日に続いての戎橋の夕景です。20年近くの前のプリントをスキャンしましたがそれほど大きく変化はなく大阪ミナミの雑多な風景を引き次いでいることが分かります。 西方の道頓堀橋の工事が完成すれば異なった風景が見られると思います。 くいだおれと道頓堀の2枚の画像は20年前の撮影です。

戎橋夕景

ニコンD3にNIKKOR20㎜1:3.5のMFレンズで道頓堀で夕景を撮影した。ISO1600に設定し実像に近づけようと試みたがそれなりの風景が取り込めたように思える。古いレンズの20㎜での画質には不満がない。

大阪駅工事風景

今年はじめてのActy opsaka27Fからの大阪駅の画像です。 立ち寄る機会もなかったのですが晴天に恵まれようやくこの日に撮影に訪れました。次第にビルの概要が明らかになりつつあります。 あまり代わり映えしないようですが大阪駅のイメージは変わりつつあります。 Canon IXY Digital 510IS

携帯画像 

携帯カメラも時折撮影しているがどうしても馴染み深くないのか撮影することが少ないようです。書店でもこっそりコピーする者も目につくが自宅で試してみると解像力はよいことに驚かされた。 京都では若い外国人女性がiPhoneでこまめに構図もしっかり撮影している姿を見ることが多く好ましく思い撮影風景を眺めているとつうじたのか手をあげて一言投げかけ立ち去っていきます。 芦屋ロックガーデン登山口にある護摩堂と高座滝、久しぶりに歩き撮影。一瞬人が途切れたときです。 魚崎郷の浜福鶴の酒蔵の展示されている樽です。酒が飲めないのですが酒粕を求めて入りました。 淡路島から明石大橋 地下鉄梅田駅御堂筋線は感じの良い地下駅です。 修理のため待ち時間に撮影 これからも機会を見つけて携帯カメラで撮影したいと考えています。

芦屋浜夕陽

芦屋市の潮芦屋から眺め六甲アイランドの夕陽です。低い雲が垂れ込め島の上部を覆っていますが落日の雰囲気を取り込みました。 D3購入後慣れるためにAF-S NIKKOR24-70/2.8 GEDをつけっぱなしにして撮影しているために写り過ぎているきらいがありますが・・・ 長焦点のレンズも欲しくなりつつあります。

神戸三ノ宮

神戸国際会館 1956年イーストキャンプ跡の遊休地に、最新鋭の設備をそなえたコンサートホールとして開館した。この会館には食事、映画そしてコンサートなどでたびたび訪れたが建て替えられからは一度も訪れていない。 神戸国際会館大ホール、映画館(国際松竹・にっかつ国際)のほか、神戸国際ホテルという名で宿泊事業も行っていたが後年に廃止されている。 1995年に発生した阪神・淡路大震災で、全壊したために建て替えられ、1999年に現在の建物でオープンした。商業ゾーン(B2F~12F)と高さ116mのオフィス棟(13F~22F)で構成されている。建物の頂点には塔屋があり、震災犠牲者の鎮魂を祈る灯りのモニュメントとなっている。 そごう神戸店 1933年開店。そごう神戸店は、兵庫県神戸市中央区の三宮にある百貨店。神戸のメインストリートであるフラワーロードと国道2号の三宮交差点に位置し地下フロア玄関前に阪神三宮駅改札口があり、地上ではJR三ノ宮駅とペデストリアンデッキで直結している利便性により神戸の老舗百貨店として繁栄してきた。しかし1995年の阪神・淡路大震災に被災した。2000年の経営破綻以前は3店舗しかなかったそごう直営店舗の有楽町そごう・心斎橋そごう(2009年8月閉店)の1つだった。 三ノ宮ターミナルホテル 株式会社ジェイアール西日本ホテル開発が三ノ宮ターミナルビルとして運営。 JR西日本ホテルズとは、西日本旅客鉄道関連のホテルの総称。 1981(昭和56)年3月国鉄時代に開業した。

神戸税関旧館

三ノ宮からほど近い新港地区にその優美な姿を見せる神戸税関旧館はかっての国際貿易港神戸港の歴史を語る上で欠かせない建物です。2号線を走るとき見ることができますが阪神高速では塔屋もみることが出来ずこの付近を散策した時にはよく訪れます。 昭和2年築、 幕末に開かれた神戸港(当事の名称は兵庫港)には慶応3年に西方に設置かれていたのですが大正時代に火災で消失し昭 和2年大蔵省営繕課のせっけいによりこの建物が税関が設置されました。 鉄筋コンクリート造石貼りの4階建、東洋一の港の顔に相応しい堂々とした造りです。この建物は阪神淡路大震災による修復の際に外壁部分を残して再建されたものです。倒壊や崩落こそしませんでしたが強度に不安があり当初は解体も検討されたのですが市民の強い要望により復元されました。

阪神大震災1995−2010

神戸市中央区の東遊園地で1.17の形に並べられた約1万本の竹灯籠にともされたローソクの炎がともされ5時46分に慰霊祭の「1.17のつどい」が開かれた。 訪れたのは10時過ぎだったが慰霊祭のための記帳、ローソクや献花等により慰霊祭に参列する人は絶えなかった。

1995−2010

未曾有の大地震となった阪神淡路大震災から15年を迎える2010年に、震災の記憶を後世に継承する目的で記録写真展が芦屋市立美術博物館で開催するための記録写真の募集があり応募し6点が展示されていた。 写真が趣味であっても撮影した枚数は極めて少ない。どうしてもカメラを向けることはできなかったからである。 私と同じ思いなのか芦屋市内の画像を残した人は意外と少なく神戸や西宮の画像が多くあった。 それでも記録のためにと市等が避難された人に渡し使い捨てカメラで撮影した避難所の画像も多々あり当時の状況を克明に記録されていた。。 僅か20キロメートルの距離を6時間近くかけて3日後に尼崎の妻の実家に避難し4.5日に一度芦屋に帰る程度の避難生活を3ヶ月過ごした。ごく恵まれた被害であったがこの日の5時46分の直下型地震の激震は決して忘れることはできない。 下記の2枚は掲出されている震災の画像。携帯カメラで撮影。 この6点が展示されている。 芦屋駅の被害写真。 下記の画像は2月頃で道は歩きやすいように片付けられていた。

会下山遺跡再訪

西高東低の寒気に耐えて自宅近くの会下山遺跡にでかけた。200メートル近くの標高でであり歩きと空気はひんやりしているが少々汗ばむほどであった。 弥生時代中期から後期ということで2000年前にここで住む人がいたことが実感できる数少ない遺跡である。国指定史跡として指定後に竪穴式住居が復元される予定だと聞いているが貴重な文化遺産であるこのような史跡にも多くの予算をつけてほしいものだ。 少ない予算からだが発掘調査も終わり埋め戻されてはいるがさらに整備のため下草刈りのため多くの人が作業していた。 天候にも恵まれ再撮影し下山した。

NikonD3

ニコンD3はニコン初のフルサイズ撮像素子を搭載し画素数は1210万画素と控えめだが、ノイズ低減処理によりISO 200~6400、さらに拡張機能でISO 100と最大ISO 25600で撮影が可能となっていることも魅力を感じた。そして起動約0.12秒にタイムラグ約0.037秒、通常で秒9コマ、APS-Cサイズ相当のDXフォーマットでは秒11コマの高速レスポンスに、51点測距に被写体を動きを追随できる3-Dトラッキング、レンズごとにピント位置を調整できる AF微調節機能などの高精度AFもありフラッグシップに相応しい機能を備えている。当初D2XsをあちこちさがしたがD2Xはあつても見あたらずなんとか予算を工面してD3とした。 タイムラグと連写もほとんど不能なカメラを長年愛用していたがそろそろ限界を感じてたのだが、その間に2007年11月に発売され2009年12月に製造中止となりD3sにバージョンアップしたがこれらの機能は引き継がれたのだろう。あくまで趣味の段階でありニコン初のFXのD3を購入した。 手持ちのAiレンズもMFでは20ミリをはじめ50ミリ70-200のズームなど5本が使用可能であることが大きな要因である。また画質み楽しみでありることも レンズはAF-SNIKKOR24-70㎜f2.8GFDとした。手に取り試撮するが重く長時間の撮影には相当な体力が必要となるだろう。これも機能を考えればとして仕方がないとして機械を知りつくし使いきり画像を自らの手でクリエイトすることとしたい。