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2月, 2008の投稿を表示しています

呉田御旅どころ

本住吉神社の鳳輦の渡御が毎年5月4.5日に行われます。 本住吉神社の近くに震災前まで25年近く住みこの神社は懐かしい所です。

標識

昭和3年8月に完成したため三八通り商店街として命名されました。阪神大震災で大きな被害を受けたためっての面影はありません。 Omasu-cho Ashiya

甲山88箇所石仏巡礼第64番

石鉄山金色院前神寺 本尊阿弥陀如来 愛媛県西条市 縁起は、奈良時代初期に西日本最高峰の高峰石鎚山で修行中の役行者の前に、蔵王権現となって現れた釈迦如来と阿弥陀如来を祀り開基したと伝えられています。

冬の午後

地蔵尊

芦屋市春日町 震災ですっかり風景は変わっています。平安時代に整備された官道西国街道が京から出て初めて海にでる場所の道に祀られている地像尊です。 大和より古い時代に築かれた古墳もこのあたりには数多くあります。 京都先斗町 京都の地蔵尊は厳重に管理されているのは盗難が多いからだと聞きます。また京都で作られたことでブランドものとして悪質な古物商等に引き取られるのでしようか。

甲山88箇所石仏巡礼第68番

七宝山神恵院 本尊阿弥陀如来 香川県観音寺市 仁王門の右の柱には「四国 六十八 六十九番 霊場」と書かれ、左の柱には「七宝山 神恵院 観音寺」と二ヶ寺が書かれている。 大宝3年(703年)に、琴弾山の山頂で修行をしていた法相宗の日証上人が、海に浮かぶ一艘の舟を見つけた。その舟には一人の翁が乗って琴を弾いていた。翁は日証上人に「我は八幡大明神なり、宇佐より来たる。この地の風光、去りがたしと覚ゆ」と告げて、海を一夜にして竹林と松林に変えた。その神威に驚いた日証上人は、舟と琴を山頂に引き上げ祀ったと伝えられる。その時、琴弾八幡宮と名付け、併せて神宮寺も創建した。 養老6年(722年)には、行基菩薩が巡錫し、後に弘法大師もこの地に巡錫し、阿弥陀如来の尊像を描き本尊として安置した。その時、四国霊場札所に定め、寺号を琴弾山神恵院と名付けた。

芦屋の洋館

大阪の銀行建物を買い取り移築して、美術品の保管庫として使用していた建物です。昭和27年(1952年)に芦屋市が買い取り、改修して市立図書館となりましたが昭和62年(1987年)伊勢町に新しい市立図書館が完成し役割を終え廃館されることになっていたが保存活動が広がり打出分室としていまも機能している現役の図書館です。子供たちのためいつまでも残して置くべき建物です。

甲山88箇所石仏巡礼第70番

七宝山持宝山本山寺 本尊馬頭観世音菩薩 香川県三豊市 大同2年(807年)に、平城天皇の勅願により、弘法大師が鎮護国家のために創立されました。久安3年(1147年)に建立され、重厚な八脚門で、唐風の絵模様の彫刻があり、国の重要文化財に指定されています。 本堂は鎌倉時代末期に再建された昭和27年鎌倉建築の様式として復元工事を行い、昭和30年国宝に指定されていてます。

甲山88箇所石仏巡礼第69番

七宝山観音寺 本尊聖観世音菩薩 香川県観音寺市 大宝三年(703年)に法相宗の日証上人の開基とされています。 縁起によれば、大宝年間に九州の宇佐八幡神が弾琴の船にて海辺に現われ、神船秘琴を山頂に引上げ御社、本地堂を建立し神宮寺宝光院と称したと伝えられます。 大同年間に、弘法大師が第七世の住職として入山し、七堂伽藍を建立し、中金堂に聖観世音菩薩を彫り安置、また、琴弾八幡の本地仏・阿弥陀如来像を画き安置し観音寺と改めた。とされています。

駅ビル

立ち寄った際に初めて撮影しました。

ろおじ

狭い空間幼い頃の楽しい遊びの場でした。 茶室の設備から使われた言葉です。

北山

冬の鮮やかに北山が見えます。

甲山88箇所石仏巡礼第10番

徳度山灌頂院切幡寺 本尊 千手観世音菩薩 徳島県阿波郡市場町 仏法の即身成仏の伝説として弘仁6年(815年)弘法大師が巡錫中、娘の願いにより千手観世音菩薩像を刻み、娘を得度させ秘密潅項させたところその娘の身から七色の光明が放たれ、千手観音に化身した。というそこで大師は嵯峨天皇に奉請し切幡寺を開基させました。

桜正宗記念館桜宴

桜宴の正門、山邑家住宅と酒蔵は、江戸末期の建物で、県指定の重要文化財であったが、震災で全壊した。 残っているのは、「桜宴」入口の木造門で、旧山邑邸の正門であったものである。 芦屋市山手町にあるヨドコウ迎賓館は、旧山邑家住宅は、灘五郷の造り酒屋櫻正宗の当主山邑太左衛門の依頼でアメリカ人建築家フランク・ロイド・ライト (Frank Lloyd Wright) が設計したものである。 竣工は1924年(大正13年)である。 震災ではこの地は地盤がしっかりした箇所であるため崩壊しなかったが被害を受け修復され公開されている。 ひな祭りの頃、古式豊かな雛人形が飾られている。

白鶴酒造記念館

記念館は観光バスも訪れいつも賑わっています。 嘉納家は御影郷でも指折りの名門であり、菊正宗酒造を経営する嘉納家は本家にあたる。 白鶴酒造の嘉納家を「白嘉納」と呼ぶのに対し、菊正宗酒造の嘉納家を「本嘉納」と呼んでいる。 白鶴酒造(白嘉納家)は、同じ御影郷の菊正宗酒造(本嘉納家)や魚崎郷の櫻正宗(山邑家)とともに、進学校で有名な灘校を創設した。 また七代目嘉納治兵衛が昭和9年に設立した白鶴美術館は、国宝、重要文化財もあり中国古美術、中でも青銅器のコレクションでは世界的に知られている。 六甲山の麓に位置する建物とともに私立美術館が数多く設立されている阪神間においても代表的存在として存在している。

甲山88箇所石仏巡礼第1番

北山森林植物園の駐車場のそばにあります。 古い石仏もこの場所に数多く保存されています。

川の上にある駅

冬の穏やかな阪神芦屋駅の風景です。 第2回近畿の駅100駅に選ばれています。

沢の井

沢の井 井戸は石造りで円形ですが柵が作られ入ることは出来ません。阪神大震災で崩れ補修された貯水槽が築かれています。 神功皇后の伝説、そして後醍醐天皇の頃、献上した酒が京都の地で好まれ酒造りの一族が嘉納の名称を持ち嘉納家発祥の地であるとされています。 阪神御影駅の高架下に保存されています。

菊正宗酒造記念館

御影に江戸時代初期の建物が43号線建設に伴いこの地に移転されている。 阪神大震災のため倒壊するずっと以前に訪れていたが1999年に再建されこの2月に再訪した。 見事に復元されていることで少し雰囲気が異なるように思えたが破壊し損壊させることの多いこの国で貴重な建物が見事に復元されたことに感動させられた。 重要有形民俗文化財の「灘の酒造用具」も収蔵されています。 試飲コーナーもあり多くの方が訪れています。

嘉納本家

「灘の生一本」で知られる、灘五郷の本嘉納家(菊正宗)の本社であった建物です。戦災にも震災にも耐えていまなお風格ある建物が事務所が残っています。 阪神間では企業と個人が強力な高潔な意思を持ってその場限りの行政にまかせず大切に建物が保存されています。

駅の風景

かつて通勤に利用したこともある阪神御影駅ですが、ここから名古屋まで線路が連なるのもまもなくのことです。

車内

久し振りに乗車した普通電車はよく空いていました。

甲山88箇所石仏巡礼73番

我拝師山求聞持院出釈迦寺 本尊 釈迦如来 香川県善通寺市 出釈迦寺の境内から1.8キロほどの奥、我拝師山の山頂に捨身ヶ嶽禅定があります。その先に、石の護摩壇と稚児大師像が立っています。そこが7歳の弘法大師が、身を投げた行場です。 お釈迦様に一命を救われ、願いが成就する「一生成仏」と告げられ大師は感激し、後に釈迦如来像を刻み、本尊として堂宇を建立し出釈迦寺と号した。と伝えられています。

大阪駅工事

2011年の春には新しい姿の大阪駅が誕生します。

甲山88箇所石仏巡礼第86番

補陀落山清浄光院志度寺 本尊 十一面観世音菩薩 香川県さぬき市 創建は推古天皇33年(626年)とされ、その後天武天皇10年(681年)には藤原不比等が堂宇を増築したとされています。志度寺縁起が伝えられています。

甲山神呪寺石仏の道

冬の石仏巡礼の道です。手入れもされていますが花崗岩の崩れやすい道は少し荒れていますがこの時期の道は散策が静かで楽しいひとときがあります。

甲山88箇所石仏巡礼第 2番

日照山無量寿院極楽寺 本尊は阿弥陀如来で国の重要文化財に指定されています 徳島県鳴門市 行基により開基されたとされています。 弘仁6年(815年)弘法大師が、無量寿の秘法を厳修し、本尊の阿弥陀如来を自ら刻み安置したと伝えられています。 左右両脇士の、釈迦如来、薬師如来は行基の作と伝えられています。

安土城趾

             摠見寺                         大手道 織田信長が天正4年(1576年)丹羽長秀に命じて、約3年の歳月をかけて完成した城で天守閣を初めて持つなど威容を誇ったが、1582年(天正10年)の家臣明智光秀の信長への本能寺の変後まもなくして何らかの原因によって焼失しました。その後廃城となり現在は石垣などの一部の遺構を残すのみですが、復元され続けています。 アップしたのは作業中の10年前の画像です。 摠見寺の私有地のため2006年から入場料が必要となっています。近日中に再訪したいと思っています。 

梅田駅

街の格式

数少ないかっての大阪の繁栄の根拠として存在する建物です。

須磨海岸

三社大神宮 久し振りに駅附近の須磨海岸を散歩したがこの鳥居には記憶がなく画像に納めました。海水浴場の安全祈願ともに金毘羅さんと関係があることが記されていました。 しかし世相か躾もなくなり砂浜はゴミが多いようで清掃が大変なようです。

甲山88箇所石仏巡礼第83番

神豪山大宝山一宮寺 本尊 聖観世音菩薩 香川県高松市 義渕僧正により大宝寺と号し大宝年間(701年~704年)に開基された後、行基によって寺号を神毫山一宮寺と改められました。さらに、大同年間(806年~810年)に弘法大師は伽藍を再興するとともに聖観世音菩薩を刻んで本尊として安置したと伝えられています。      県道甲山大師線と神呪寺の石仏風景

甲山88箇所石仏巡礼第22番

白水山医王山平等寺 本尊 薬師如来 徳島県阿南市 歴史といわれ 延暦11年(792年)、弘法大師が41歳の時修行のためこの地で祈祷に使う加持水を求めて杖で井戸を掘ると、乳白色の水が湧き出しました。大師はその霊水で身を清め、百日修行感得の後に薬師如来像を刻み、本尊としこの霊水により人々が平等に救済されるようにと願い、山号を白水山、寺号を平等寺に定めた。とされた謂れがあります。

保津川下り

水かさは少ないですが冬の保津峡を楽しむ人は多いようです。