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10月, 2019の投稿を表示しています

奈良の古刹 新薬師寺 続

かっては土塀や築地が崩れ落ち荒れ寺として崩れ落ちていたようたが、飛火野からようやくたどり着くと修復され古寺を思わせる古都の名刹として風情は今に残している。と静かに歩きました。  石仏群 稲荷社もまつられいる。 新薬師寺を拝観したのは、本堂の内陣中央に、白漆喰で固めた円形の土壇という珍しい仏壇の上に、中央に国宝の本尊薬師如来座像がありこれを取り囲むようにして十二神将像が、円形に安置してある。国宝朔像十二神将立像は約1.8メートルの朔像群が円陣を作っておもす思いの姿態で立っているさまは圧巻である。残念ながら堂内は撮影禁止のため撮影していませんが此処円陣の土壇を3度歩き心に刻む事が出来ました。 二神将は薬師如来十二本願を守護する武将である。これらの像は高円山岩淵寺のものを寺が荒廃したのでここに移した。とされています。 久し振りに内陣で、本尊薬師如来座像がありこれを取り囲むようにして十二神将像を拝謁して非凡な仏師を偲ぶ事が出来ました。 NikonD600 AF-S  NIKKOR24-70 f2.8GED

奈良の古刹 新薬師寺

新薬師寺は、天平19年(747年)聖武天皇の病気平癒を祈願して、高円山の麓に光明皇后により創建された寺院です。当初は、香山薬師寺、香楽寺とも呼ばれた古刹です。 山門を入ると、雅やかな格式のある奈良時代創建の本堂に圧倒されます。建物は国宝に指定されています。 この本堂に円形の高さ90㎝、直径9mの土壇が築かれ、壇上に奈良時代に制作された国宝の本尊薬師如来坐像と円陣に十二神将立像が安置されています。暗い堂内に入るとかすかな明 かりののなかに薬師如来坐像と  宮毘羅大将 伐折羅大将 迷企羅大将 安底羅大将 頞儞羅大将 珊底羅大将 因達羅大将 波夷羅大将 摩虎羅大将 真達羅大将 招杜羅大将 毘羯羅大将の神将像が薬師如来を護衛しているように祀られている光景は感動の極みでした。古式豊かな日本の歴史の原点を堂内を廻り俗世間からしばし遠ざかることが出来ました。 鐘楼 香薬師堂の庭園 石灯籠と本堂 鎌倉時代に創建された山門からの境内の風景です。かっては萩の名所として知られていましたがほとんど見かけるが出来ないようです。 NikonD600 AF-S  NIKKOR24-70 f2.8GED

奈良の古刹 華厳宗 日輪山 新薬師寺

春日飛火野を散策して拝観した記憶があるが相当年月が経過しています。その時荒れ寺でした。だが本堂に入ると土壇の上に国宝の薬師如来坐像を中心に十二神将立像が円陣に祀られている。堂内ははしめて見る仏像で奈良時代の荘厳さに圧倒されたことは忘れることはできませんでした。 先日、急に思いつき奈良高畑の新薬師寺と白毫寺をと思い訪れた記録です。 南門を入ると素朴でしかもゆったりした優雅なそして風格のある国宝の奈良時代に創建された本堂が配置されています。 石塔と鐘楼 境内風景 地蔵堂と本堂 香薬師堂の庭園 再度訪れて新薬師寺の歴史を振り返ると戦乱と廃物希釈そして住宅や道路等の開発事業など苦難の歴史を得て貴重な本堂と南門そして仏像が保存されているとを知らされていたこともあり歴史の重み感じさせられつつ境内を散策させられました。 NikonD600 AF-S  NIKKOR24-70 f2.8GED

東海道本線 加島大橋  EF510-507

台風19号の被害は東日本では極めて多大で堤防の決壊と浸水とそして鉄道の運転休止と状況は厳しく被害が逐次報道され続けている。 先月、ゼロメートル地帯の多い大阪の尻無川水門を見学したが大型台風が近づけばアーチ型ゲートは電動で約40分かけて90度回転し、潮の遡上をせき止める。6,1メートルまでの高潮を防ぐことが可能である。昨年(2018年9月)大阪湾で3.29メートルと過去最高の潮位を記録した台風21号でも、閉じた水門を境に海側と川側で約3メートルの水位差になったが、高潮が越えることはなく市街地への浸水を防いでいる。記録動画を見たが強烈な印象を受けています。この台風では関西空港は連絡橋は不通となり滑走路と機器室は水没し機能不全となっている。 東日本は今回の台風19号ではあちこちで相当な被害があった。水を制する者は国を制す。という言葉があったが現代の日本では死語なのか無関心そのもの言動を聞かされそして最近の国土の惨状を知らされつくづく悲しさが募っている。 久しぶりの撮影です。在庫からですがこの時間帯ではEF510が牽引する2080レが撮影できるかと立ち寄りました。加島駅付近も高層マンションや工場が新築され景観に変化が見られます。市内には空き家が目立っていますが・・・・これも時代の流れでしようか。 NikonD600 AF-S  NIKKOR24-70 f2.8GED

奈良の古刹 高円山白毫寺  続

天智天皇の第七皇子志貴皇子の離宮がありその山荘を寺として伝えられているが天智天皇の創建とも新薬師寺の十二神将がもともとあったという石渕寺の一院とあるが諸説あるが鎌倉中期に西大寺で真言律宗を起こした興正菩薩叡尊がが再興整備したとされている古刹です。弘長元年( 1261年)衛尊の弟子道照が宋から大宋一切経の摺本を一切経転読を行った。以後一切経寺とも呼ばれて信仰を集めた。 一切経とは、お経はインドから中国に伝えられ、中国語に翻訳され編集された。その漢訳されたお経を漢訳大蔵経とか一切経という。 明応6年(1497 年)古市筒井勢による戦乱でほとんどの堂宇が焼かれた。さらには明治の廃物稀釈の政策により荒廃した。 江戸時代に本堂は奈良時代の形式により再建され阿弥陀三尊が聖徳太子像が祀られている。 平安時代の文殊菩薩坐像、本尊の鎌倉時代の阿弥陀如来坐像、地蔵菩薩坐像そして閻魔王坐像が宝庫に保存されている。 歴史ある古刹も現在は高円山の山中にとりのこされたような荒廃と静寂のなかに静かにたたずみ苦難の歴史を今に伝えている日本の古寺である。

奈良の古刹 真言律宗高円山 白毫寺

白毫寺は若草山、春日山に続いて南に連なる高円山(たかまどやま)の麓の台地にある。 鬱蒼とした雑木や萩の茂る薄暗い100段余りの古びた石段を上がると、眼下には奈良の町が、正面手前には矢田丘陵、その奥に二上山、信貴山、生駒山などの山並みが見渡せる。展望の素晴らしい寺として知られいる。 ずっと昔に訪れた記憶があるが、飛火野から新薬師寺を経て歩いたのだが、暑さのためかぼんやりしていたりのか市街の風景に見とれていたのか歴史の道の標識を見忘れて地図で確かめさせられた。 自然石を乱積した石段から振り向くと生駒山や奈良盆地の風景が遠望できる古刹です。 朽ち果てた土塀そして奈良の市街と生駒の山並み奈良とは思えない光景です。 境内には、生駒山から信貴山そして亀の瀬渓谷で分断されそして二上山から葛城山、金剛山との大阪・奈良の県境の山並みが展望が可能でしばし休憩させられました。 「高円の野辺の秋萩いたづらに 咲きか散るらむ見る人なしに」 笠 金村  万葉の時代から高円山一帯はハギの花で知られ、万葉集に数多く収められている。9月の彼岸ごろ、土塀と石段に沿ってハギの花枝が延々としだれ咲く様は、自然豊かな白毫寺は、新緑に萌える季節も、燃え立つ錦秋も、それぞれに素晴らしい。また、春の五色椿が終わり、秋のハギ、10月から3月までは寒桜花の姿が秋の紅葉と季節の花が絶えることはない奈良の古刹です。次回はしつかり花の時期に参詣したいものです。 9月にと予定していたが残念ながら先日歩いて際の記録です。   NikonD600 AF-S   NIKKOR24-70 f2.8GED

芦屋の近代建築 仏教会館

芦屋川左岸から六甲山を背景にしての画像です。現在は私費でこのような歴史に残る建物を建設することは現代の経営者には到底信じることはできない想定外のものの考え方であろう。政官財これでもかこれでもかこれでもかと不祥事が報じられると100年経過すると人間の質的低下はこうも激しくなるのであろうか?

芦屋近代建築 仏教会館

芦屋仏教会館は、芦屋川右岸の東海道本線のそばに位置としている。鉄筋コンクリート造りで地上3階地下一階建ての建物で平成30年6月に国登録有形文化財に指定されている。 株式会社丸紅商店、現在の丸紅過株式会社初代社長伊藤長兵衛氏は仏恩報謝の初願から、芦屋で仏教講演会などの活動を始め、その活動をはじめその活動から大正13年(1924)崇信会を設立した。会の発展にともない伊藤忠兵衛が私財を投じ財界人の賛同を得て建てられた・現在も仏教講座が開催されるのか掲示板には時間が明示つれていて撮影した際に多くの方が入館されていました。 外観のみ自由に見学が可能です。芦屋の近代建築という書によりますと。建築様式は設計者の片岡 安は「東洋風の手法を加味した近代式として各所に東洋風、印度風」というデザインが用いたと語っている。 仏教徒ですので、機会があれば講話を聞いてみたいものです。 建物正面のステンドグラスには蓮の花のモチーフが用いられています。 建物北面は、擬宝珠形デザイが見られる。 正面玄関から眺めた入り口、鉄筋コンクリート造りではあるか東洋風の雰囲気が外観に見られる建物である。そばは何度も通り過ぎていますが観察してレンズを向けていると古い建物ですが最近の一見豪華に見えるが安づくりの建物と異なり重厚感が漂っていることに気付かされました。

芦屋鉄道紀行 阪神打出駅 打出商街風景

阪神打出駅近くの商店街ですが非常に短く阪神電鉄から国道43号線まで50㍍前後と短い商店街ですが人通りも多く現在では珍しく活気のある店が並んでいます。阪神そして山陽そして近鉄車両がしばらくレンズを向けていますと通過していきました。 NikonD600 AF-S  NIKKOR24-70 f2.8GED

大阪の橋めくり 錦橋  土佐堀川

土佐堀川に架かる歩行者専用橋。 かつての 可動堰は橋長約55mで、中央の2径間は支間約15mの鉄筋コンクリートのアーチを主構とし、両側には階段と一体構造になったコンクリートアーチが用いられている。建設当時から歩行者専用橋として利用されてきた。