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奈良の古刹 新薬師寺 続

かっては土塀や築地が崩れ落ち荒れ寺として崩れ落ちていたようたが、飛火野からようやくたどり着くと修復され古寺を思わせる古都の名刹として風情は今に残している。と静かに歩きました。




 石仏群 稲荷社もまつられいる。

新薬師寺を拝観したのは、本堂の内陣中央に、白漆喰で固めた円形の土壇という珍しい仏壇の上に、中央に国宝の本尊薬師如来座像がありこれを取り囲むようにして十二神将像が、円形に安置してある。国宝朔像十二神将立像は約1.8メートルの朔像群が円陣を作っておもす思いの姿態で立っているさまは圧巻である。残念ながら堂内は撮影禁止のため撮影していませんが此処円陣の土壇を3度歩き心に刻む事が出来ました。
二神将は薬師如来十二本願を守護する武将である。これらの像は高円山岩淵寺のものを寺が荒廃したのでここに移した。とされています。
久し振りに内陣で、本尊薬師如来座像がありこれを取り囲むようにして十二神将像を拝謁して非凡な仏師を偲ぶ事が出来ました。
NikonD600 AF-S  NIKKOR24-70 f2.8GED

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芦屋だんじりの歴史

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