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1月, 2011の投稿を表示しています

清盛塚

兵庫運河に架かる清盛橋の袂にある高さ約8.5mの清盛塚十三重の塔は、もともとは現在より南西11mの場所にありましたが、1922年(大正11年)市電松原線の道路拡張工事の際現在の場所に移転されています。 平清盛が京都で荼毘にふされたとき、能福寺の住職円実法眼が清盛の遺骨を持ち帰り、寺領内に葬ったと伝えられています。そのため清盛塚は長い間、平清盛の遺骨を埋葬した墓であると考えられていました。しかし、移転に伴う調査の結果墳墓でない事が判明し、1286年(弘安9年)に建てられた供養塔であるが判明しました。 兵庫大仏のある能福寺には、平清盛の遺言により京都から運ばれた遺骨が埋葬されたと伝えられる平清盛公墓処があります。 十三重の塔 清盛像と琵琶塚 清盛塚・十三重の塔の背後にある琵琶塚は、もとは前方後方式の古墳石でしたが、平敦盛の兄で平家物語の琵琶の名手平経正に結びつけて琵琶塚(経正塚)と呼ばれるようになりました。  能福寺 平清盛墓所の解説 平清盛墓所 政治的には日宋貿易に見られるような財政基盤の開拓、経が島築造、厳島神社造営そして音戸の瀬戸開削等に見られるような公共事業の推進など、時代の矛盾に行き詰まりつつあった貴族政治に新生面を切り開き鎌倉幕府にも大きな影響を与えた優れた政治家であったとされています。 京都以西には平家にかかわる史跡が多々あります。 後世に創作された軍記物の影響から政治上手の戦下手の印象もありますが、実際には平治の乱で複数の部隊を連携させた戦術で藤原信頼軍を打ち破っているばかりか、御所や市街地の被害も最低限に抑えることに成功しており、洗練された戦法を得意とする優秀な指揮官であると評価されています。 見直されるべき人物でしょう。

阪神電鉄大物駅鉄道画像 続

阪神電車の車両よりも近鉄・山陽電車の車両の通過、着発が多く時代の流れを感じさせられました。阪神電車もかってはよく利用した鉄道ですが当時の画像が全くないのはカメラが趣味でも撮影対象ではなかったようです。これからは楽しみで撮影することにしています。 NIKOND3000 DX AF-sNIKKOR55-200 1:4-5.6G  ISO 400 絞り優先

阪神電鉄大物駅鉄道画像

大物駅は、兵庫県尼崎市大物町にある、阪神電気鉄道の駅で梅田駅から8,0キロメートル野地点にあり当駅で本線と阪神難波線が分岐しています。 阪神電鉄では大物・尼崎間のみ複々線運転であり本線と難波線の列車が撮影できるため撮影ポイントとなっています。 この駅名は難読駅名といえる駅名ですが「大物(だいもつ)」という地名そのものは「大物浦」として『平家物語』にも、戦国時代の合戦大物崩れにも登場する歴史があります。 NIKOND3000 DX AF-sNIKKOR55-200 1:4-5.6G  ISO 400 絞り優先

花隈城跡

模擬石垣は車窓から眺められます 高層ビルに囲まれてかっての面影を見ることはできません 戦前の花隈は著名人が訪れた花街としても有名です 桜木を植えて神戸の名所にしてほしいものです  戦国時代は西国街道の要衝であり築城されています 市街地の展望 JR元町駅近くの花隈城跡のある花隈は鼻熊とも書かれる。六甲山の大地が海に突き出ている先端を鼻、その稜線の隅からこの付近一帯を花熊とも言われていました。 永禄10年(1567年)、織田信長が荒木村重に命じて築かせた説と天正2年(1574年)に石山本願寺と毛利氏との警戒用に荒木村重に命じて近世の平城で近江国の穴太衆を呼び出しかなりの石垣を使用し1年程度で完成させたと言われています。 遺跡は一切発掘されず現在は地下駐車場が設けられ模擬石垣により城の石垣が復元されています。 NIKON D3  AF-S NIKKOR 24-70mm 1:2.8 G ED ISO400      絞り優先 マルチパターン測光

阪急電鉄画像

                 神戸線十三駅梅田行ホーム 京都線十三駅京都行ホーム 神戸線夙川駅   神戸線夙川・芦屋川駅間  神戸線夙川・芦屋川間 神戸線夙川・芦屋川間 マルーン塗色の車両の区別は撮影を重ねるにつれてその差違が確認出来るようになりました。阪急電鉄の塗色は意外と風景とマッチしていることにも気付きました。 NIKOND3000 DX AF-sNIKKOR55-200 1:4-5.6G  ISO 400 絞り優先

東海道本線さくら夙川駅鉄道画像

  寒さも和らいだ日に散策しているますとさくら夙川駅に着きましたのでホームで撮影することにしました。 1時間ほど滞在し貨物列車と通勤電車を撮影しました。待ち時間は寒く陽も陰りその後は電車で芦屋駅へ戻ってしまいました。

神戸関帝廟

関帝廟は、関帝を祀る廟で関羽は、信義や義侠心に厚い武将として名高くまた『演義』での逸話などから様々な伝承や信仰が産まれ、信仰を高め、また後の王朝によって神格化されているとのことでその関羽を祭った祠が関帝廟の始まりであるとされています。 しかしこの演義を読んだ事もありますが古代から人間は誇大妄想には憧れていたのかとも関心させられたものです。 その後にも流行人気作家の作品を読みましたが人間不在での絵空事のような筋運びにはそのリメイクではないかと思い面白くもありませんでした。 近くを通りかかり久しぶりにと思いつつ天龍や青龍と唐獅子、カラフルな装飾とすべてに朱色と金色ときらびやかな彫刻とそして建物でお参りして撮影してみました。 NIKON D3  AF-S NIKKOR 24-70mm 1:2.8 G ED ISO400      絞り優先 マルチパターン測光

京の冬景 二尊院 続

雪の積もる日には訪れる人はなくゆったりと楽しむことができます。本堂で過ごし境内を滑らないように散策しましたがいつもなら楽に歩ける道も凍結していましたが京は冬に楽しむべきだと思って歩き続けました。 NIKON D3  AF-S NIKKOR 24-70mm 1:2.8 G ED ISO400      絞り優先 マルチパターン測光

京の冬景 直指庵 続

かってはここ北嵯峨において臨済禅の大伽藍の直指庵であったとの解説がなされているがその面影はいまはないようです。 衰退していましたが幕末の頃の近衛家津崎村崗局がここに入り浄土宗のお寺として再興したことで知られています。 またここは雑誌等ではお寺での取材もなくいわれのない歴史や名称で面白可笑しく記事を作っていることも新聞等で報じられています。直指庵にお参りすればすべてが理解できるのですが・・・ 今は住宅地として開発もされていますが細谷のこの地に入りますと訪れる人も少なく静かで時間を過ごすことができました。今回は撮影することに夢中となりノートに想い出を記することをつい失念してしまいました。 NIKON D3  AF-S NIKKOR 24-70mm 1:2.8 G ED ISO400      絞り優先 マルチパターン測光