兵庫大仏
境内に鎮座する兵庫大仏(胎蔵界大日如来像・毘慮舎那仏)は伝統日本三大佛の一つで、身丈(像高)11m、重量約60t、蓮台高3m、台座高4m、総高18mあります。
1891年(明治23年)豪商・南条荘兵衛の寄進により建立された初代の大仏は座高が8.5mでした。しかし兵庫大仏は1944年(昭和19年)第2次世界大戦の金属回収令で国に供出されましたが、大仏建立100年目の1991年(平成3年)再建されました。金属回収の際、大仏の胎内に納められていた胎内仏は供出されることなく保存され、大仏が再建されたとき再び胎内に納められました。
大仏は各地で祀られていますが、日本三大大佛とは奈良の大仏(東大寺・蘆舎那仏 、鎌倉の大仏(長谷高徳院・阿弥陀如来)と兵庫大仏とされています。
新西国二十三番霊場・宝積山能福寺(ほうしゃくざん のうふうふくじ)は天台宗の仏教寺院で、本尊は最澄作の秘仏・薬師如来像です。805年(延暦24年)、唐に留学していた伝教大師最澄が帰途、兵庫の和田岬に上陸し自作の薬師如来像を安置し、日本で最初の教化霊場・能福護国密寺としたのが開創であると伝えられています。
神戸事件・滝善三郎正信碑
平相国廟(平清盛廟)・平清盛公墓処
兵庫津は、平安時代末に平清盛が日宋貿易のために整備し、室町時代には足利義満の日明貿易の拠点として栄えた港でした。元は行基が設けた摂播五泊の一つで、大輪田泊で知られていました。江戸時代には兵庫津と呼ばれ、西国各地から大坂入りの船舶の寄港地として賑わった。また、山陽道もこの地に迂回して通り、海運と陸運の結節点ともなり古跡は多くありますが戦災や震災そして都市開発でかっての面影はありませんが清盛橋、大和田橋等地名にかっての繁栄の跡がみられます。
NIKON D3 AF-S NIKKOR 24-70mm 1:2.8 G ED ISO400
絞り優先 マルチパターン測光
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