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5月, 2009の投稿を表示しています

以仁王墓

後白河天皇の第二皇子。高倉宮とも呼ばれる。 「王」とは「親王」の宣旨を受けられない皇子の称号。 平家物語に登場する以仁王の挙兵は、治承4 年(1180)以仁王(高倉宮・三条宮)と源頼政が打倒平氏のための挙兵を計画し、諸国の源氏や大寺社に蜂起を促す令旨を発した事件。準備不足のために露見して追討を受け、以仁王と頼政は宇治平等院の戦いで敗死、早期に鎮圧された。 しかしこれを契機に諸国の反平氏勢力が兵を挙げ、全国的な動乱である治承・寿永の乱が始まる。以仁王の乱、源頼政の挙兵とも呼ばれる。 京都府木津川市にある高倉神社にある。 奈良街道とも名付けられ日本の原風景があちこちに残っている道であった。

阪神大震災で残っていた大きな蔵がブティックに改装されていた。この街によく似合うことに気づかされた。

阪急芦屋川駅 芦屋市域は狭いが鉄道は阪神・JR・阪急と3社の路線がありかっては国道2号線にも路面電車が走っていた。現在は3社の路線があり駅が4駅ある。東は西宮市と西は神戸市であるがその間は2.5㎞程度でしかない。4駅の駅前風景を撮影する予定としている。

甲山88箇所石仏巡礼第55番

別宮山金剛院光明寺南光坊 本尊 大通智勝如来 開基 行基 愛媛県今治市 縁起は、和銅5(712)年に文武天皇の勅願により、瀬戸内に浮かぶ大三島の大山積明神に勧請し、法楽所として二十四坊を建立した。 しかし、海を渡らないと参詣できないため、その別宮を越智郡日吉村に移した。同時に別当寺院として南光坊を含む八坊を移した。とされている。

蔦の家

神戸元町通りの裏にこの街に似合わない佇まいだ。しかしなぜかほっとさせられる蔦のからまる店である。

小野小町塚

京都府の井手町を訪れた際、細い道の脇に五層の巨岩が積まれた小野小町塚があった。 奈良時代には左大臣橘諸兄旧居があり山背古道という街道も残る交通の要衝であった。駆け足で回ったが古い歴史を感じさせられた。 色も香もなつかしきかな蛙鳴く井手の渡の山吹の花 と井手町を読んだ歌と小町について小町塚の前に刻まれている。 小野小町は平安時代前期の歌人で六家仙、三十六歌仙の一人として知られ、仁明天皇(833〜850)の時代に宮廷に仕えた歌人であることは確かですがその生涯は謎に包まれている。終焉の地は、ここ井手町、京都市、秋田県、山口県など各地に散在しているが「冷泉家記」によると「小町69才井手寺に於いて死せり」とある。井手町の「小町塚」は中でも信憑性のあるものとされています。世に伝えられる小町の晩年の零落の姿は絶世の美女であったが故に語られた伝説で歌枕として数多くの歌に詠まれるここ井手の里で山吹の咲きこぼれる玉川堤を散策しながら穏やかな余生を過ごした事と思われる。

大阪靫公園バラ園(5)

魅力はつきないバラではあるが、季節もおわり秋咲きと来年を楽しみにしたいと思っている。180年前に作り出されたバラもありその美しさをこの次こそマクロや古い標準レンズでポジで撮影したいものである。 ローズ・オオサカ  2000年日本 ピンク・ピース 1959年フランス グレース・ドゥ・モナコ 1956年 フランス ドナルド・プライヤー 1938年アメリカ シャツポー・ドゥ・ナポレオン 1827年フランス

小久保こ線橋

新幹線西明石駅近くの上ヶ池公園でトラス桁の鉄橋を見つけ下車し、その説明版を読み貴重なものだと思い撮影した。 この鉄橋は、明治13年(1890)当時の九州鉄道株式会社(現在の鹿児島本線等)が鉄道橋として、ドイツのハーコート社に発注、技師ヘルマン・ルムシェテル(HERMAN-RUMSCHOETTEL)1844~1918)の指導の下で建設された70連余りのトラス桁の一つである。 昭和の初め現西明石駅構内に鉄道省の機関区が設置されるに伴いその際、九州で鉄道橋として使われていたトラス桁を転用して昭和2年(1927)に延長65mの「小久保こ線橋」が建設された。その後、戦中・戦後の激動の時代を経てこのこ線橋は88mに延伸されたが、平成6年(1994)新こ線橋(西明石陸橋)の完成によって永い勤めを終えることになったため貴重な産業遺産として保存した。と記されていた。

大阪靫(うつぼ)公園バラ園(4)

バラの品種改良はイギリスが多いが日本も盛んに行われているようだ。今後もバイオテクノロジーの先進国でもある日本では新しい品種が誕生するようだ。 バラの花としての魅力は尽きない思いがした。 コテージ・ローズ   1991年  イギリス たそがれ  1970年 日本 ピーチ・ブロッサム 1990年 イギリス セレッソ 1997年 日本 ブルームーン 1964年 ドイツ

夜の京都駅

久しぶりに帰途京都駅に立ち寄り友と分かれて階段を歩きながら行楽シーズンの過ぎた20時過ぎの静かな駅ビル風景を撮影した。どこか異空間にいるようで卓上三脚が役にたったようだ。

仁王像

京都醍醐寺の仁王像 平安後期の1134(長承3)年に造立された仁王像で重要文化財に指定されている。 900年近くが経過していることになる。

携帯画像岩園公園モンテベロバラ園

感染列島にはならないであろうが兵庫県は新型インフルエンザーで困惑させられている。芦屋も学校や公共機関は閉鎖されている。 人出のない道であればと携帯をもって散歩の途中バラ園に立ち寄り盛りの花をゆっくり撮影した。花の盛りは終え多くの花はもう終えようとしていたがバラの魅力は尽きないようだ。 携帯のカメラも5MGに設定し撮影しているので有効利用している。 それにしても悲しいのはこの公園もやはりマナーのない者も多く枝を折り幹も倒された花もあり手入れが大変だろうと思ってしまう。

鉄道の旅(2)

新型インフルエンザーの発祥地であることに驚いている。子供たちが卒業した坂の上にある高校が発祥地であることも・・・ しかし大阪や神戸はそしてまだ発生していない京都は良く出かけるところであり出かけることは自粛せざるを得ないのであろうか。 最近出かけた時に利用した電車の写真をまとめて見た。普段何気なく乗車していても新鮮な印象が持つことができる。マニアとは一線を画してこれからも撮影に努めたいと思ってしまった。

大阪靫(うつぼ)公園バラ園(3)

公園事務所の職員がバラ園の説明会を開催していた。世界バラ博も開催された都市公園でも維持管理させ何時までも楽しめる公園であってほしい。 アプリコット・ネクター 1965年 アメリカ ジェーン・オースティン 1990年 イギリス マグレディス・イエロー 1933年 イギリス ゴールドバニー 1978年フランス

芦屋モンテベロバラ園(3)

最近バラにひかれて撮影している。芦屋市のモンテベロバラ園を再訪し取り残したバラを撮影したが空の抜けが悪かったのが残念だ。自宅近くなのでもう一度でかけたいと思っている。

大阪靫(うつぼ)公園バラ園(2)

プリンセス・ミチコ  1966年 イギリス ミセス・ハーバード・スティーブンス  1910年 イギリス マダム・シャルル・ソバージュー  1949年 フランス マダム・カロリン・テストゥ   1890年 フランス マリア・カラス 1965年 フランス グレース・ドゥ・モナコ  1956年  フランス バラの名前には歴史上の人物や妻や恋人の名前がつけられたものがあります。このバラ園で植樹されている一部のバラを撮影した。 バラの歴史は古く古代バビロニアでは既に栽培され、古代エジプトでクレオパトラが香油を愛用していたことはよく知られている。。 ヨーロッパで普及したのは11世紀から13世紀の十字軍の遠征によってとされている。 日本では万葉集にも登場している。 フランスにおいて改良されたバラが多いのはナポレオン・ボナパルトの皇后、ジョゼフィーヌはバラを大変愛好し、マルメゾン宮殿に広大なバラ園を作り、世界中からバラを取り寄せては植栽させた。という歴史があり、ジョゼフィーヌ「バラの母」と呼ばれている。