京都府の井手町を訪れた際、細い道の脇に五層の巨岩が積まれた小野小町塚があった。
奈良時代には左大臣橘諸兄旧居があり山背古道という街道も残る交通の要衝であった。駆け足で回ったが古い歴史を感じさせられた。
色も香もなつかしきかな蛙鳴く井手の渡の山吹の花
と井手町を読んだ歌と小町について小町塚の前に刻まれている。
小野小町は平安時代前期の歌人で六家仙、三十六歌仙の一人として知られ、仁明天皇(833〜850)の時代に宮廷に仕えた歌人であることは確かですがその生涯は謎に包まれている。終焉の地は、ここ井手町、京都市、秋田県、山口県など各地に散在しているが「冷泉家記」によると「小町69才井手寺に於いて死せり」とある。井手町の「小町塚」は中でも信憑性のあるものとされています。世に伝えられる小町の晩年の零落の姿は絶世の美女であったが故に語られた伝説で歌枕として数多くの歌に詠まれるここ井手の里で山吹の咲きこぼれる玉川堤を散策しながら穏やかな余生を過ごした事と思われる。
奈良時代には左大臣橘諸兄旧居があり山背古道という街道も残る交通の要衝であった。駆け足で回ったが古い歴史を感じさせられた。
色も香もなつかしきかな蛙鳴く井手の渡の山吹の花
と井手町を読んだ歌と小町について小町塚の前に刻まれている。
小野小町は平安時代前期の歌人で六家仙、三十六歌仙の一人として知られ、仁明天皇(833〜850)の時代に宮廷に仕えた歌人であることは確かですがその生涯は謎に包まれている。終焉の地は、ここ井手町、京都市、秋田県、山口県など各地に散在しているが「冷泉家記」によると「小町69才井手寺に於いて死せり」とある。井手町の「小町塚」は中でも信憑性のあるものとされています。世に伝えられる小町の晩年の零落の姿は絶世の美女であったが故に語られた伝説で歌枕として数多くの歌に詠まれるここ井手の里で山吹の咲きこぼれる玉川堤を散策しながら穏やかな余生を過ごした事と思われる。
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