スキップしてメイン コンテンツに移動

あだしの念仏寺






賽の河原。境内中央の十三重石塔を挟んで約八千体におよぶ石塔群をいう。とされている。もとあだし野一帯に散乱・埋没していたものを、明治三十六・七年頃に集めたといわれている。
もとこの地は葬送地であった。はじめは壇林皇后の伝えのように風葬の地であった。その後土葬となり石仏を奉ったが歳月を経て無縁仏となったことを物語っている。これらの小石塔は主に室町時代に作られたものが多いとある。
この画像はこの寺の歴史に似つかわしくない。悲しい哀しい場であるのだ。

コメント