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戦後76年 神戸三ノ宮駅周辺 戦争の痕跡の記録



           米軍撮影画像19458月 国鉄三宮駅 阪急神戸三ノ駅

           駅交差点は加納町交差点 神戸市電の交差点も確認できる。 

 神戸大空襲の状況

アメリカ軍による日本本土への空襲は、昭和17(1942)年4月18日に、東京・名古屋・四日市・神戸などを空襲したのが最初で、神戸では、兵庫区中央市場付近が被害を受けたが、本格的なものではなかった。

 神戸市域に対する無差別焼夷弾爆撃は、昭和20(1945)年2月4日に初めて行われた。これは、それまでの空襲が軍事施設や軍需工場への精密爆撃から焼夷弾による爆撃へと方法を転換するための実験的焼夷弾攻撃であった。

 神戸市域に対する無差別焼夷弾爆撃が、3月17日未明の大空襲により、兵庫区、林田区、葺合区を中心とする神戸市の西半分が壊滅した。また、5月11日の空襲では、東灘区(当時は住吉村)にあった航空機工場が目標とされ、爆弾による精密爆撃が行われた。この空襲では、灘区・東灘区が被害を受けた。さらに、6月5日の空襲では、西は垂水区から東は芦屋・西宮までの広範囲に爆撃され、それまでの空襲で残っていた神戸市の東半分が焦土と化し神戸市域は壊滅した。

 神戸空襲による現在の神戸市域の被害は罹災者総数53万858人、死者7,491人、重軽傷者1万7,002人、被災戸数14万1,983戸となっているが、この数字は確定したものでなく、実際はこれを上回る膨大な損失であった。また、神戸市の人口千人当たりの戦争被害率は47.4人であり、五大都市(東京・大阪・名古屋・横浜・神戸)で最高を示したのである。

                                                  「新修神戸市史 歴史編4 近代・現代」

         JR三ノ宮駅 阪急神戸三宮駅と駅ビル     2021年撮影


         JR三ノ宮駅 歩道橋に残る銃撃の痕跡 戦闘機は駅構内、鉄橋等人が避難する箇所を銃撃そして焼夷弾で爆撃したと記録されています。
        

阪急神戸三宮駅ドームに残る焼夷弾爆撃の跡。高熱で支柱が歪んでいる

阪急神戸三宮駅上りホーム 上部の米軍撮影のモノクロ画像
          の焼け野原となった街並みに黒色の部分のドーム屋根がこの現在
          の神戸三宮駅です


生田森 生田神社に残る爆撃を受けた楠の木
 
楠の神木
       約500年の年輪を持っこの楠は昭和廿年6月5日の神戸大空襲で焼けただ
       れたのですが、力強く蘇り再生、再起、合格 復活の象徴として信仰
       されています。
         
 

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