喜光寺の境内には不動明王をはじめ江戸時代の石仏が四十七体まつられています。この石仏はそれぞれいわれがある穏やかな表情です。
この石仏とともに透明感のある蓮の華を探し求めて撮影しています。
喜光寺でいつも撮影をしているのが蓮の華の中に浮かぶような本堂と南大門を背景にしてレンズを向けることです。毎回200鉢近くの蓮華をゆっくりと歩き続けアングルを探しました。
奈良時代の養老5年(721年)に後に大仏建造で大きな功績を挙げた「行基」により「菅原寺」として創建された。その後の喜光寺は、衰退・荒廃と復興を繰り返す歴史を歩んだ。鎌倉時代には、西大寺中興の祖としても知られる叡尊上人によりこの喜光寺も復興されますが、その後戦火などにより再び荒廃し、江戸時代には更に再び復興が図られるなど、荒廃の度に放置されることなくその都度復興されるお寺として明治維新を迎えた。
明治維新後の廃仏毀釈では壊滅的ダメージを受け、喜光寺の境内、建物も荒れ果てるがままに放置されることになりました。この時期に薬師寺の末寺となった。
本格的な復興は薬師寺の再建も本格的に軌道に乗る平成に入ってからであり、南大門や行基堂などはつい近年復興された建築となっています。
本堂に安置されている阿弥陀如来坐像は平安時代の造立で高さは2.3メートルの大きな仏像であり、南北朝時代に造立された脇侍の勢至菩薩坐像・観世音菩薩坐像とともに大変穏やかで優しげな表情を浮かべておられることが本堂で拝観できますがよくぞ廃仏稀釈にも耐えて残されたものだといつも拝観しています。
コメント