法華寺本願光明皇后が薬草煎じその蒸気で多くの難病者を救済されたが、建物は室町時代後期に改装されたが、敷石の一部は天平時代とされている。
また光明皇后でよく知られる話は、浴室での施療です。奈良市の平城京跡に隣接して、光明皇后が病人の治療のために建てたとされる法華寺がありますが、このなかに浴室が残されています。これは古くから「からふろ」と呼ばれており、サウナ風呂のような蒸し風呂だったのでしょう。光明皇后は「からふろ」で、千人の民の汚れを拭うという願を立てました。ところが、千人目の人は全身の皮膚から膿を出すハンセン病者で、皇后に膿を口で吸い出してくれるよう求めたため皇后が病人の膿を口で吸い出すと、たちまち病人は光り輝く如来の姿に変わったという逸話が残されています。
光明皇后は、聡明なうえ、光り輝く美貌だと伝えられています。ゆえに光明子、光明皇后と人々に尊敬の念でよばれるようになった。政情不安そして、飢饉や疫病に日本中があえぐ時代に皇后として日本で最初の社会福祉に貢献された女性とされています。
本堂の国宝の十一面観音菩薩立像は光明皇后の化身だと語りつがれています。
歌人の会津八一は、参拝し
「ふちはらのおほききさきをうつしみに あひみることくあかきくちひる」
と詠っています。
浴室(からふろ)
光月亭
奈良月ヶ瀬村の18世紀頃の建築とされる民家を昭和46年に移築したと説明されていました・
法華寺境内
名勝庭園
客殿の南に庭園がある。御所の庭を客殿とともに移築したとされ「仙洞うつし」と名付けられている。江戸初期の名演としてみ国の名勝に指定されている。
特別公開の日でしたので庭園をゆっくりと鑑賞し古き良き日本の原型を心静かに滞在させられました。このひとときこそ古都奈良の良さでしようか。
名勝庭園の新緑
法華寺は日本総国分寺たる東大寺に対する大和の国分寺として知られています。寺地は光明皇后の父藤原不比等の屋敷で、皇后に伝えられやがて法華寺と呼ばれるようになり境内には金堂、講堂、東塔、西塔などが建ち並んでいた。平安時代になると寺運は次第に衰え鎌倉時代西大寺の叡尊により復興されさらに慶長六年豊臣秀頼により再興された歴史がある。
寺号は、精しくは法華滅罪之寺である。
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