お参りする人の絶えない水掛不動尊として信仰されている法善寺を夜半に訪れた際、護摩供養が、28日午後七時から行われるということで七人の修験者がホラ貝を手に法要の準備をされていました。
何度もお参りで訪れている法善寺ですが、不勉強ではじめて聞くことで法要にひとときであっても参列することとしました。
戎橋筋、道頓堀、千日前通りなど観光客やサラリーマンで混雑する大阪南の繁華街で護摩供養が行われていることに驚きを禁じ得ませんでした。
護摩法要とは四方八方に結界を張り巡らし、般若心経を唱えつつ火に護摩木や御札を投じつつ心願をこめて祈ります。
護摩とは、「護摩供(ごまく)」のことで、古代インドの「ホーマ」ということばの音を漢字で表したことばで、「清らかな火を焚き、その火中に供物を投じてご本尊さまに供養する」という意味です。もとはインド古来のバラモン教の儀礼だったものが、仏教、特に密教に取り入れられて体系化され、やがて弘法大師によって日本に伝えられちされています。
護摩供は、古代インドの伝統を踏まえて、除災招福の秘法として修行されています。護摩供法要では、護摩壇での導師の修法によって勢いよく炎が上がりますが、燃え上がる炎は「仏さまの悟りの智慧」そのものであり、私たちの煩悩を象徴する護摩木を燃やすことで、智慧によって不幸の原因である煩悩が焼き滅され、生きる力を授かるという意味があるのです。
ここ水掛不動尊の小さなお堂で護摩壇での勢いよく炎が上がるととき厳かな祈りがこみ上げてきました。
またこの時、様々な願いが書かれた護摩札を仏さまの智慧の炎にかざして加持することで、護摩札がご本尊さまそのものとなり、願いごとを成就する力あるものとなります。
神仏を供養し形としてお供物を供えることで、除災招福を祈る儀式の事です。密教独特の護摩は、密教系の寺院においておこなわれる修法で、護摩の火で、煩悩や一切の苦を焼き尽くす儀式です。
護摩は本来は仏教の密教の修法であるので、密教や修験道で行われていますが、神道の神社の一部でも護摩が実施されています。もともと神仏習合だった権現社や宮が、明治時代後期に神仏分離(神仏判然令)で強制的に当時の国家神道の神社に改組された事例は多くありましたが、現在は神道の神社となっていても神職や山伏による護摩祭が続いてます。愛宕神社(京都市)の千日詣の夕御饌祭、安井金比羅宮(京都市)の春季金比羅大祭、秋季火焚祭があります。
現在は神道の神社となっていても神職や山伏による護摩祭が続いていることがある古来の法要がおこなわれています。
NIKON D600 AF-S Nikkor20mm 1:3.5 NX2
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