小説や映画等の舞台となる島原は何度訪れていますが、エンターテインメントの小説はあまり読まないのですが歴史的な面影は失せてしまっていますがかろうじて残っていることに京都らしさを感じさせてくれます。
島原は小説等では通俗的な花街かのような取り上げ方がされていますが事実は異なっていることが残念です。
島原伝統保存会の石碑には
島原
島原は江戸時代以来公許の花街(歌舞音曲を伴う遊宴の町)として発展してきた。寛永18年(1641)官命によって島原の前身である六条三筋町から現在の朱雀町の地に移された。その移転騒動が、九州島原の乱を思わせたところから一般に島原と呼ばれてきたが正式名称は西新屋敷という。この島原は単に遊宴を事とするにとどまらす和歌、俳諧等の文芸も盛んで、ことに江戸中期にはと島原俳諧が形成されるほどの活況を呈した。しかし明治以降の島原は次第にさびれゆき、現在では揚屋(今の料亭にあたる店)の「角屋(すみや)」と置屋(太夫や芸妓を派遣する店)の「輪違屋(わちがいや)」、それに島原入口の「大門」これらの3箇所がわずかに名残をとどめるものとなっている。
平成13年11月吉日 島原伝統保存会
と刻まれています。
さらに江戸時代後期の尼僧であり歌人の大田垣蓮月の
嶋原のでぐちのやなぎみて
なつかしきやなぎのまゆの春風に
なびくほかげやさとのゆ夕ぐれ 蓮月尼
ともきざまれています。
大門
大門と柳
大門風景
石碑
CANIN IXY DIGITAL510IS
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