芦屋市の山手、神戸市との市境に弥生時代の高地性集落として著名な遺跡がある。芦屋川駅から歩いておよそ30分程度である。
しのぎ谷と高座谷にはさまれた200メートル前後の尾根にあり芦屋市街、大阪湾を隔て生駒山系、西は神戸市街から淡路島を北には六甲山系が眺められる。
発見されたのは50年前の1956(昭和31)年でこの尾根の下にある山手中学校の植物実習園造りのさい発見された。
紀元前一世紀から紀元一世紀の集落で稲作文化が定着した弥生時代に高地性集落で暮らす人が存在したのは倭国大乱との関わりの説もあるが祭場説も居住性の良さも説かれているがこの会下山遺跡発見以来西日本各地で高地性集落が発見され研究されている。
芦屋市街と大阪湾遠望が可能である。
高床式の復元倉庫
排水溝が設けられていたことが認められる。
4.50人程度の人が生活していたことが確認されている。遺構には竪穴式住居、祭祀場、倉庫跡、火たき場あるいはのろし場跡、ゴミ捨て場と広範囲な遺跡である。
高地性の集落でありながらイイダコ壺、鉄製釣り針も発掘さけ山の幸とともに海の幸も収穫してたと考えられ。当時大阪湾の渚は尾根の直下付近にあった。
山歩き時々立ち寄るが2000年前の人がここで生活していたのかと思うと災害も多い地域だが住みやすい地であったのかと思ってしまう。
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