天王寺区松屋町筋の終点、合法ヶ辻から東へあがって四天王寺西門に至る坂道である。逢坂は、逢坂の関になぞらえてよんだものとも、他の説では聖徳太子と物部守屋の二人が信じる方法を比べ合わせたと言われた「合法四会」に近いことにより合坂と名付けられたなどの諸説がある。
上町台地を歩くと古代から近代までの歴史が積み重なり現在の大阪が形成されたことが史跡により教えてくれる。このような歴史の重みが課程が何ら現在の行政に生かされていないことが沈滞、地盤沈下を自ら招いているようだ。
正面は日本3大鳥居の一つ「石の鳥居」で1294年(永仁2年)の建立とされている。
三大鳥居の他の二つは金峰山時(吉野)、厳島神社(広島)がある。仏教寺院の四天王寺に鳥居があるのは鳥居は、現存は少ないがかって仏教施設とされていたためである。とされている。
奥に見えるのは西大門と五重塔。日本初期によればによれば推古天皇元年(593年)に造立が開始された。戦乱や火災、戦争等により焼失しそのたびに復興されている。現在の伽藍は1945年の大阪大空襲で焼失し復興されたものである。
四天王寺周辺の区名、駅名などに使われている天王寺は四天王寺の略称である。
コメント
春に大阪出張した時は伊丹からリムジンバスに乗って天王寺駅まで行きました。
大阪も観光で捉えるといろいろと見るところがあるようですね。
また行ってみたいです。
阪堺電車なども乗る機会もんかったのですが、この時代のんびり走る電車に魅せられています。
マニアも多いようです。そしてWEBでも大阪を歩き発掘されている方のページも多く今後が楽しみです。