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天王寺七坂口縄坂


天王寺七坂でなにわの情緒の残る坂で久しぶり訪れて大阪らしからぬ雰囲気が残っていることに感動させられた。また坂の中腹の浄土宗善龍寺の住職さんが的確に口縄坂を説明されていることにもなにわの文化を感じさせられた。全文掲載した。



         口縄坂 松屋町筋
坂の下から眺めると道の起伏がくちなわ(蛇)ににていることからこの名がつけられたという。付近の浄春寺には歴学者麻田剛立、画家田能村竹田、春陽軒には国学者尾崎雅嘉、太平寺には医家北山寿安ら江戸時代に活躍した先人の墓がある。また梅旧院には芭蕉の供養碑も見られる。
と道のそばに説明されている。





          織田作之助 文学碑



史跡  口縄坂
「くちなわ」とは「朽ち縄(古くなった縄)」で蛇の古称である。
すなわち「口縄坂(くちなわさか)」とは「蛇坂」の意味であり、善龍寺は「蛇坂」の縁起の「善い龍の寺」として知られている。(蛇と龍の縁語)。
坂名の由来については昔から諸説あるが坂下から眺めると長く緩やかに蛇行し、石段が蛇腹のように見えることから蛇の坂と命名された。と考えるのが自然であろう。
古来、この口縄坂の界隈は、楠など老木が生い茂る緑豊かな処であり江戸時代には枝垂れ桜(糸桜)の名所として賑わいその見事なさまは次の二首からも窺いしることができる。

    口とぢて蛇坂(くちなわざか)を下りけり 芭蕉
    蛙(かはづ)ほどの歌さへとんと詠めぬなり 
         蛇坂(くちなわざか)の花にのまれて 魚丸
昭和9年まで坂の右の丘に名門夕陽丘高等女学校があった。
「夫婦善哉(めおとぜんざい)」で有名な作家織田作之助はその女学生に淡い恋情を抱きながら、青春の光と影を宿してこよなく愛するこの坂道を幾度ともなく登り降りした。
彼の私小説「木の都」にはその模様が古き良き大阪へのノスタルジーとともに語られており、また憔悴した当時の彼の心情が寒い冬空の口縄坂の風景と二重映しの形で描かれている。
好天の休日ともなれば日曜画家やカメラマン諸氏で賑わい映画やテレビドラマのロケ地として今や欠かせない場所となっている。
この口縄坂は天王寺七坂のうちでも最も古き佳き「浪華の面影」を今も色濃く留めている坂の一つである。      浄土宗 善龍寺



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