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大村益次郎



大村益次郎殉難報国碑
場所:大阪城の南側、国立大阪病院南東角上町筋
1869(明治2年)9月京都で不平士族に襲われた大村益次郎は、この碑の近くにあった浪華仮病院(大福寺から移転)でボードウィンの執刀による右脚切断手術をうけた。しかし症状は重く敗血症をおこし11月5日に世を去った。
浪華仮病院は院長は緒方惟準(洪庵二男)、主席教授はオランダ人ボードウィンで、医学教育にもあたったのは半年であったが、この病院はその後大阪大学医学部へと発展した。
戦前に国威発揚のため1940(昭和15)年建立されている。

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