正式な名前は「幽霊子育飴」なんか陰気な感じの飴だとみなさんの感想でしょう。もしお土産にもらったらとしたら微妙な思いででしょう。そして美味しくなさそうな感じですが、口にふくめば琥珀色の自然な形の飴はとってもやさしい味です。そしてこの飴の由来をしればことのほか思いがふかまるでしょう。
この飴の由来は、なかなかいい話として残っています。お店の由来を引用すると。
今は昔、慶長四年京都の江村氏妻を葬りし後、数日を経て土中に幼児の泣き声あるをもって掘り返し見れば亡くなりし妻の産みたる児にてありき、然るに其の当時夜な夜な飴を買いに来る婦人ありて幼児掘り出されたる後は、来らざるなりと。此の児八才にて僧となり修業怠らず成長の後遂に、高名な僧になる。寛文六年三月十五日六十八才にて遷化し給う。
されば此の家に販ける飴を誰いうとなく幽霊子育て飴と唱え盛んに売り弘め、果ては薬飴とまでいわるるに至る。洵に教育の上に、衛生の上に此の家の飴ほど良き料は外になしと今に及んで京の名物の名高き品となれりと云う。
らんすい
みなとや幽霊子育飴本舗
とあります。
子育飴の古い看板
六道珍皇寺前から移転してきた現在の店の前に『西福寺』があり人が亡くなり、腐敗し、白骨化し、やがて土にかえる様子をリアルに図解した『壇林皇后九想図』があります。
六道の辻は東大路松原をやや西へ行ったあたりで平安時代の頃、ここより東にある鳥辺野(現在の清水寺などがある丘陵地帯は、風葬が行われた場所でこの地の入口にあたる六道の辻は、古来より“あの世とこの世の分かれ目”、“冥界の入口”と、いわれてきたことに由来しています。
この辻あたりが冥界と現世の分かれ道として京都では信じられていました。
おかみさんから頂いた素朴ないかにも京都らしい上品な甘さの幽霊飴を口にして話をしていますと京都で2番目に古い菓子店で400年前の創業で平野神社のあぶりもちは1000年前の創業とのことでした。
四条や清水坂に出店すればよく売れるでしょうが手作りのためいわれのあるここで商いをされているとのことです。
NIKON D3 AF-S NIKKOR 24-70mm 1:2.8 GED RAW ISO400
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