天保8年(1837年)桜正宗の六代目蔵元であった山邑太左衛門(やまむらたざえもん)が摂津国西宮、現在の兵庫県西宮市久保町で発見したとされています。 山邑太左衛門は西宮と魚崎(現神戸市東灘区)で造り酒屋を営んでいたが、双方で造る酒は、他の工程をすべて同じにしても味が異なっりました。西宮で造る酒の良質な味の原因について、彼は『同地にある梅ノ木蔵の「梅ノ木井戸」の水にある』と結論しました。これ水質の差を知ることが「宮水の発見」とされました。 当初、「西宮の水」と言っていたが、やがて略されて「宮水」と呼ばれるようになりました。 梅の木井戸はこの、宮水発祥の地の柵内にあれます。 毎年秋には宮水まつりが開催されます。 宮水運搬車 西宮で生産される清酒は灘五郷全体の4割です。西宮市の中南部の一角には、いまでも灘の酒造メーカーの井戸場が集中しており、各酒造会社専用の井戸からさかんに汲み出されています。 この久保・石在両町にまたがるわずか三百メートル四方の周辺には、第二次世界大戦に酒蔵の大半を焼失し、鉄筋ビルの近代的な酒蔵もありますが、震災で倒壊したましたが復元させ昔ながらの面影を残す酒蔵が今も残り、独特の情緒をかもし出しています。