2009年10月31日

鉄人28号

山陽本線新長田駅近くににある若松公園で10月4日、高さ15.6mの「鉄人28号」モニュメント像の完成セレモニーが 行なわれた。「鉄人28号」は1956年から雑誌「少年」に連載された漫画で、これまでに何度もアニメ化された人気作品であるが漫画はほとんど読まなくあまり記憶はない。
新聞では報道され近くの阪神高速は何度も往復しているが立ち寄る機会はなく寄り道をして撮影した。
「鉄人28号」モニュメ ント像は1/1スケール像で、足を伸ばして直立させたときの全長が18mになるように製作された。中は鉄骨、外 は耐候性鋼板製。重量はおよそ50トン。両足の下、深さ6mに埋められたおよそ150tの基礎で支えられている。とある
製作したのは長田区の特定非営利活動法人「KOBE鉄人PROJECT」で「鉄人28号」の原作者で神戸市須磨区出身の漫画家である故・横山光輝氏にちなんで、阪神大震災後の復興・商店街活性化のシンボルとして製作した。総工費は1 億3,500万円。神戸市から補助金4,500万円が拠出され、残りは個人や企業からの寄付・協賛金でまかなった。と報道されている
紺色ボ ディの「鉄人」像は、阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた商店街方向(南側)を向いている。両足を踏ん張り、右手を突き出した力強い鉄人ボーズである。
新長田地区はかってゴム関係の工場が多くあり靴等の生産工場が密集し活気を呈していた。最も酸く競れた競技スポーツシューズで著名なアシックスシューズの発祥地でもある。
この像は一時的なものではなく、若松公園内に恒久設置されるため現在も鉄人像の株は舗装工事中で今年度末には鉄人像の足元整備が行なわれることになっている。






2009年10月30日

大阪駅工事風景

しばらく訪れない間に工事は進捗し外装工事も始まっていた。またホーム上の通路工事も仕上げられ南側にも増築工事が進んでいた。
基礎工事が終わるとビル建設工事は早いようだ。







2009年10月29日

大阪市営地下鉄

地下鉄新大阪駅はよく利用した駅ではあるが。カメラを向けたのははじめてである。デジカメを購入し撮り鉄してみた。
画素数も大きく手になじみ警戒心も持たれなく撮影出来るので重宝できる。
画像は平板であり均一化されているのは面白くはないがある反面感心させられている。





2009年10月28日

会下山遺跡その2

弥生時代の高地性集落遺跡会下山遺跡で発掘された焼土坑でトレンチは3.5メートル深さ1メートル幅は1.5メートル程度、相当な高温で燃焼された痕跡があり、鉄製品の製造が行われたのではないかと思われる。24日の新聞に掲載されていた。
その後訪れた際、芦屋市教育委員会の学芸員の方に確認した際、縞模様になった黒い地層を示しながら丁寧に説明を受けた。角度もあり陶器を焼く登り窯のような感じであった。
このような堀のような遺跡はこの横にも存在しているようだ。との解説を受けた。
2000年前にこの場所、標高170メートルの箇所で金属器を生産していた。ことが頷けるトレンチであった。
何を生産していたのか今後の研究に待つしかないようだ。
高地性集落として1956年に発掘された時には、弥生時代は稲作文化で低地で生活していた。200メートルもの高地で食料生産も不可能であり居住できねることは不可能だ。そのような集落はあり得ないと考古学会や学者から無視され闇に葬られようとしていた。だが机上の空論に踊らされず現地発掘調査により研究を続けた若い考古学者は瀬戸内海沿岸に弥生時代の高地性集落を発掘し弥生時代の文化として定着した高地性集落の歴史が、この会下山遺跡が発端となっている。と現代では定着している。
何度も訪れたがいつもは草や落ち葉に埋もれていたため、小さな高地性集落かと思ったが雑草も刈られ見違えるように観察しやすくなった遺跡から、発掘品も膨大であり尾根上でもあるが斜面も利用した相当大規模な遺跡ではないのではないかと思ってしまった。
自宅から歩いて45分程度の山にそれも登山の下山路としても歩いてきた所に、2000年前の人類にとって貴重な遺跡が国有林でもあるとしても破壊されず残っていることにいまさらながら驚かされた。

2009年10月27日

新世界その2

ポケットサイズにとフォーサーズも手に取り検討してみたがなぜか画質にも操作性にもどこのカメラを買っても同じようではないかとそれほど魅力が感じられずあきらめてしまった。
フルサイズのカメラを検討していたがこれほど新製品が続出しパソコンのように多岐多様の機能が加わり旧形式のカメラが望ましくなりこれもあきらめてしまった。
それではとコンデジで我慢することとし1/2.3型ccdのIXY510isを購入した。小さいCCDながら画像の解像力は明部も暗部もコントラストがあっても全てにピントが合い手ぶれ防止もありそれなりの撮影が可能である。その上これでもかと機能が付け加えられていることは驚かされる。誰でもが容易にいつでもどこでも写真が撮れることはいいことではないかと思う。
試みに以前撮影した新世界の画像を掲載した。愛用のカメラが見つかるまでクラシックデジカメとこのカメラで撮影したいと思っている。






2009年10月26日

霊社



いまから900年前の平安時代末期の治承8年一ノ谷の合戦、生田の森で戦死した河原太郎、次郎を祀る社である。
神戸居留地跡の三ノ宮神社の裏で近代的なビルのなかに秘やかに祀られている。
神戸をはじめ阪神間には古い史跡が多くあり民間活力で保存されている。道路や都市計画で破壊されることも多いが残っている。後世に残したいものだ。

2009年10月25日

桃山御陵

桓武天皇柏原陵
かっては伏見桃山御陵付近に築かれていたいたとされているが伏見城築城時に削平され、明治初年この地に造営された。
明治天皇伏見桃山御陵
  昭憲皇太后伏見桃山東陵
伏見を訪れた際に伏見桃山御陵を散策した。
豊臣秀吉が1596年に築城した本丸跡に造営されたとされている。鬱蒼と茂った木立のもと緩やかな砂利道を15分の距離である。伏見や宇治の町並みを望むことがてきる位置にある。

2009年10月24日

中之島風景

              中之島図書館
川田順歌碑
難波津のまなかに植えし智慧の木は五十年を経て大樹となりぬ
と中之島らしく水中の四角の石に刻まれている。
この歌碑は中之島図書館開館50周年賀歌として建立されたものである。

             堂島川と大江橋
                 日本銀行大阪支店

2009年10月23日

芦屋の地蔵尊


西国街道跡の地蔵尊で大切に祀られている。
仁丹の森下本家に祀られていた地蔵尊で、その後テニスコートとなりさらにマンションが建設されここに移転し祀られている。
古い由緒のある地蔵尊でふる。

宮川沿いにある西蔵町の地蔵尊。
マンション建設中に出土した地蔵尊が祭られている。

1955年(昭和30年)中学生3人が交通事故でなくなった際に建立された地蔵尊である。


2009年10月22日

会下山遺跡 

芦屋市の山手、神戸市との市境に弥生時代の高地性集落として著名な遺跡がある。芦屋川駅から歩いておよそ30分程度である。
しのぎ谷と高座谷にはさまれた200メートル前後の尾根にあり芦屋市街、大阪湾を隔て生駒山系、西は神戸市街から淡路島を北には六甲山系が眺められる。
発見されたのは50年前の1956(昭和31)年でこの尾根の下にある山手中学校の植物実習園造りのさい発見された。
紀元前一世紀から紀元一世紀の集落で稲作文化が定着した弥生時代に高地性集落で暮らす人が存在したのは倭国大乱との関わりの説もあるが祭場説も居住性の良さも説かれているがこの会下山遺跡発見以来西日本各地で高地性集落が発見され研究されている。

会下山遺跡の説明版、右方の鷹尾山、城山山頂付近の250メートル地点にも高地性集落が発掘されている。
            芦屋市街と大阪湾遠望が可能である。
            高床式の復元倉庫
          排水溝が設けられていたことが認められる。
4.50人程度の人が生活していたことが確認されている。遺構には竪穴式住居、祭祀場、倉庫跡、火たき場あるいはのろし場跡、ゴミ捨て場と広範囲な遺跡である。
高地性の集落でありながらイイダコ壺、鉄製釣り針も発掘さけ山の幸とともに海の幸も収穫してたと考えられ。当時大阪湾の渚は尾根の直下付近にあった。
山歩き時々立ち寄るが2000年前の人がここで生活していたのかと思うと災害も多い地域だが住みやすい地であったのかと思ってしまう。

2009年10月21日

芦屋の漁船

芦屋市では明治時代以降8戸から20戸程度がいわし漁を専門に行い芦屋いりじゃこが専門業者により加工されていた。みやじゃことして珍重された。その時の風景が市史や写真史に記載されている。
昭和37.8年前後より科化学調味料、労働力の不足等と芦屋浜の埋め立てによりいわし業も消滅してしまったが、現在1戸のみイカナゴ業などを行っている。
六甲山を背景に漁船を撮影した。





2009年10月20日

メリケン波止場

メリケン波止場で神戸ビエンナーレ2009が開催されている。ビエンナーレ(biennale)とは、「2年に一度」というイタリア語が語源となっている。
神戸に芸術文化の力を結集して内外に発信することと神戸の芸術文化の更なる振興を図るために、2年に1度の芸術文化の祭典「神戸ビエンナーレ」を開催されている。
所要があり時間に追われていたが海上アート展もあるため今回はアートコンテナーのある会場に入らず外周を歩き撮影した。
フリーマーケットなどもあり訪れる人は多いようだ。