真如堂ではどうしても同じアングルになってしまうのは仕方がないのであろうか。拝観が始まると同時に訪れることがてきれば本堂や塔を取り込んだ画像も可能であろうか。
京都映画誕生の碑
1908年京都で映画造られ100年を経過した。牧野省三が第一作「本能寺合戦」を撮影した真如堂に2008年10月この像が建立されたと刻まれている。
京都では撮影所も少なくなり寂しくなったが日本映画の原点はやはり京都であることは忘れることはできない。
真如堂境内を人混みを避けながら何度も歩きあまり人の訪れない光明寺の三重塔を撮影した。此の寺は浄土宗の大本山、承安5(1175)年法然上人が比叡山の黒谷を下り草庵を結んだ浄土宗寺院のはじまりとなった寺である。
幕末の文久2(1862)年に徳川幕府は新しい職制を作り京都の治安維持に当たらせることになった。会津藩主松平容保は京都守護職として黒谷の金戒光明寺へ1000名の武士が宿坊等に布陣した。歴史のある寺である。御所や小倉山そして山崎付近まで一望できる要の地であったことから本陣となった。また新撰組もここで結成された。
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