大阪駅前第三ビル38階より眺めた露天神、桜が咲いているところで高層ビルに囲まれているが近松門左衛門の「曾根崎心中」上演以来お初天神として親しまれている社である。
「此の世のなごり。夜もなごり。死に行く身にたとふれば、あだしが原の道の霜。一足づつに消えて行く。夢の夢こそあはれなれ。あれ数ふれば暁の。七つの時が六つ鳴りて残る一つが今生の。鐘のひびきの聞きおさめ。寂滅為楽とひびくなり」
と七五調を駆使して歌いあげられた名文で知られる舞台てある。
1687(元禄16)年4月17日曾根崎心中は堂島(曾根崎)新地の遊女お初と醤油屋の手代徳兵衛が義理のしがらみと友人の不実で身動きが出来なくなり手に手をとって梅田堤を道行きをし天神の森で心中した実際に存在した事件を取り上げた人形浄瑠璃である。


曽根崎(古くは曽根洲と呼ばれた)の地名は、この御神名によるとされている。南北朝期には「曽根洲」も漸次拡大し、地続きの「曽根崎」となった。
この頃、北渡辺国分寺の住人・渡辺十郎源契(河原左大臣源融公十一世渡辺二郎源省の末)や渡辺二郎左衛門源薫ら一族が当地に移住し、田畑を拓き農事を始め、当社を鎮守の神とし曽根崎村を起こした。
と記録されている歴史のある神社である。
狭い境内ではあるが北の飲食街に似合わないほっとさせられる空間である。
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