神戸事件発祥地
備前藩の大砲
神戸事件とは、1968年(慶応4年・明治元年)1月11日、神戸三宮神社前で西宮警備のため東へ向かう備前藩(現・岡山県)兵が隊列を横切ったフランス人ともイギリス人ともいう水兵を滝善三郎が槍で負傷させた事件である。江戸幕府滅亡後、明治政府初の外交問題となった。
この事件により一時、外国兵が上陸し神戸中心部を占拠するなどの動きにまで発展したが、その際に問題を起こした隊の責任者であった滝善三郎が切腹する事で一応の解決を見た。相前後して堺事件が発生し、共に外国人に切腹による行為をより深く印象付けた。
この問題の解決手段により薩英戦争等にも進展する可能性もあり、香港や上海の様に理不尽な占領下に置かれる事態も起こり得たことから、2月9日滝善三郎が切腹し犠牲によって危機回避がなされ解決した。この事件と解決させたことは日本史の流れにおいても重大な出来事であった。
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