スキップしてメイン コンテンツに移動

広電 銀山町駅・胡町駅 路面電車俯瞰撮影

 3000形 1976年西日本鉄道株式会社から購入し3両連接車に改造 7編成 日立製作所・汽車製造製作 
3700形 1984年アルナ工機製作 5編成
5100形グリーンムーバーマックス 2005年 国産初の完全低床車両 近畿車輛 三菱電機 東洋車両製造製作 10編成 2005年 グッドデザイン賞 2006年鉄道友の会ローレル賞受賞 
700形と5100形
700形 1982年アルナ工機製作 11両
800形 1983年アルナ工機製作 14両
700形と800形
銀山町駅と胡駅間の歩道橋からの撮影です。広島港駅、広電宮島口駅行そして江波駅行の3路線の電車が撮影可能でLRVや旧式の電車が一両でひっきりなしに通過していきます。撮影していますと古い形式の車両は以外と少なく新型電車が多いてすね。撮影していても楽しい限りでした。
交通量も多く望遠で撮影しています。
広電のWebSight今後の撮影のためにと車両の概要を調べてみました。

  NIKON  D3  AFVR  Zoom NikkorED 80-400mmf4.5-5.6  

コメント

このブログの人気の投稿

芦屋だんじりの歴史

戦前まで芦屋市内には8基のだんじりがあった。打出(かっては4基)、津知、三条の旧村落に1基、芦屋村の山芦屋、東芦屋 西芦屋 茶屋芦屋 浜芦屋の5集落の5基だった。 これらのうち、三条、津知の両村は近世以前、本庄9ケ村と称して現在の神戸市東灘区区域の村々(森 中野 小路 小路 北畑 田辺 深江青木)とともに保久良神社の氏子として、古くは5月13,14日の祭にだんじりを曳いていた。 打出のだんじりは10月17日に打出天神社の祭に、他の5基は10月15,16日の芦屋神社の祭に巡行が行われた。 このうち山芦屋、打出の2基は現存する。津知、西芦屋 茶屋芦屋 浜芦屋のだんじりは戦災で焼失し、東芦屋は解体、三条は売却された。 打出のだんじりは、近年まで天神社の祭日に境内南方のだんじり倉から出されて飾りつけられていたが、ここ数年は巡行が有志の手で復活された。  打出地車 翠ケ丘町 打出地車 親王塚町 一方山芦屋では、交通事情や曳き手不足で昭和36年から48年には地車曳きは断続的になった。しかし昭和48年山之町地車愛好会が結成され、今日では10月15,16日にもっとも近い土曜、日曜日に市内巡行が続けられている。山之町のだんじりは、明治9年製で明治40年頃兵庫区から購入されたもので、正面には素戔嗚尊ま大蛇退治、泥幕には義経の八艘跳や近江八景 脇障子には源平の敦盛と熊谷などの彫刻を持っている。また後方の小屋根の下には、賎ケ岳の戦いや加藤清正の虎退治が彫られている。だんじりは、昭和53年に大修理が行われた。また、装飾幕が2枚あり、古い方には龍や牛若丸、新しいのは南北朝の忠心(楠木正成 新田義貞 児島高徳)の図が描かれている。   山之町地車  阪神芦屋駅前 山之町地車  精道町 だんじり内では、太鼓 2丁鐘 半鐘が入り地曳きに際して、出発、廻る、前進、後退、宮入り 地囃子 の六種だんじり囃子が奏される。 1979年当時は芦屋市のだんじりは2基が現存していた。と30年近くの古い資料ではあるが芦屋の生活文化史(1979)にだんじりの歴史が記録されている。 その後の推移として記録すると 打出地車、打出地車愛好会が運営、神戸型。昭和9年(1934)10月16日、新調入魂式。大工は植山宗一郎。彫師は

芦屋の邸宅 六麓荘町の街並み

自宅近くにある豪邸のある町ですが訪れる機会も少なく時折散策することもありますが歩く人も少ないのですが最近は景気も上向きか改築される家が多くなって変化していいるようです。  sony   NEX-5   E18-55      F3.5-5.6   OSS     

芦屋の邸宅 六麓荘の秋

晴天に誘われて朝の散歩にと六麓荘町をぐるり一周した際の画像です。この町まで来るとヘイズもなく秋天の青空に魅せられました。しかし瀟洒な豪邸が建ち並んでいまが世代交代なのか更地になった場所もみられました。 邸宅の庭の紅葉もはじまり爽やかな青空のもとの散策でした。この町の最も高い所は標高200㍍でこの下に山陽新幹線の六甲トンネルがあります。西宮方からおよそ3.5キロメートルの位置です。自宅からおよそ50分程度で軽い散歩コースでした。  sony   NEX-5   E18-55      F3.5-5.6   OSS