日本国認定近代化産業遺産
1868年に明治政府が兵庫港第3波止場として開設された。
1987年に波止場の西側一帯が埋立てられてメリケンパークとなり、神戸の異国情緒を表す場所として映画のロケなどにも使われている。その後1995年に発生した阪神・淡路大震災により、波止場であった場所が崩壊。現在、崩壊した状態で一部が神戸港震災メモリアルパークとして保存されて公開されている。
メリケンシアターの碑
明治29年(1896)、日本初の外国映画が花隈の神港倶楽部(しんこうくらぶ)で上映されたことと、チャップリンが神戸に訪れた時この場所に上陸したことを記念して、昭和62年(1987)、「メリケンシアター」の碑が作られました。石の窓をスクリーンに見立てたその前には、42個の黒い御影石が観客のように並んでいます。石の一つ一つには、神戸出身の映画評論家、淀川長治氏が選定した国内外の有名映画スターの名前が刻まれている。
メリケン波止場の入り口に小さな石塔があり、そこに神戸税関萬國波止場とメリケン波止場の金属の名称板がはめ込まれ
昔なつかしめりけん波止場
ころは明治のはじめ
ここに小さな突堤があり
その先に浮き桟橋があった
近くにアメリカ領事館があったので
人びとはアメリカ桟橋となまって
メリケン波止場と呼ぶようになった
のち神戸港は出船入船が繁くなり
世界的に発展したので
その玄関口として長い立派な突堤を築いた
世人はここを神戸の名所の一つとして
メリケン波止場とよんで親しんでいる
州崎善夫
小野光吉
1868年に明治政府が兵庫港第3波止場として開設された。
1987年に波止場の西側一帯が埋立てられてメリケンパークとなり、神戸の異国情緒を表す場所として映画のロケなどにも使われている。その後1995年に発生した阪神・淡路大震災により、波止場であった場所が崩壊。現在、崩壊した状態で一部が神戸港震災メモリアルパークとして保存されて公開されている。
メリケンシアターの碑
明治29年(1896)、日本初の外国映画が花隈の神港倶楽部(しんこうくらぶ)で上映されたことと、チャップリンが神戸に訪れた時この場所に上陸したことを記念して、昭和62年(1987)、「メリケンシアター」の碑が作られました。石の窓をスクリーンに見立てたその前には、42個の黒い御影石が観客のように並んでいます。石の一つ一つには、神戸出身の映画評論家、淀川長治氏が選定した国内外の有名映画スターの名前が刻まれている。
メリケン波止場の入り口に小さな石塔があり、そこに神戸税関萬國波止場とメリケン波止場の金属の名称板がはめ込まれ
昔なつかしめりけん波止場
ころは明治のはじめ
ここに小さな突堤があり
その先に浮き桟橋があった
近くにアメリカ領事館があったので
人びとはアメリカ桟橋となまって
メリケン波止場と呼ぶようになった
のち神戸港は出船入船が繁くなり
世界的に発展したので
その玄関口として長い立派な突堤を築いた
世人はここを神戸の名所の一つとして
メリケン波止場とよんで親しんでいる
州崎善夫
小野光吉
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