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大輪田橋




倒れた石柱は、1995年1月の阪神淡路大震災で倒壊した橋の親柱であり、その50年前の1945年3月米軍の神戸空爆により橋の下に非難した人々が爆撃により多くの人がなくなった悲劇の橋である。その時の火災事故の跡が残されている。
50年間に空爆と震災という二度の災害を受けた生き証人として保存されている。

新川運河にかかる橋で、平清盛の日宋貿易の拠点となった瀬戸内の五泊の一つで大輪田泊の跡でありその名を付けられた橋である。
その後、貿易港は室町時代に堺に移ったが、明治以降には港湾都市としてバブルが弾けるまで繁栄した港でもある。

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