2008年11月30日

御土居



御土居(おどい)は豊臣秀吉によって1591年(天正19年)に造成された京都を囲む土塁である。外側の堀とあわせて御土居堀とも呼ばれる。多くは破壊されたが一部が京都市内に残り史跡として指定されている。
画像は紫竹上長目町、同上堀川町にのこる御土居の北東隅にあたる部分である。



御土居の範囲は南北約8.5km、東西約3.5kmの縦長の形をしている。
全長は約23kmにおよぶ。北端は北区紫竹の加茂川中学校付近、南端は南区の東寺の南、東端はほぼ現在の河原町通、西端は中京区の山陰本線円町駅付近にあたる。また東部では鴨川に、北西部では紙屋川に沿っている。
御土居の内部を洛中、外部を洛外と呼んだ。
北野天満宮境内を含め現在9カ所が都市計画の沿革を知る上で貴重な遺跡として国史跡として保存されている。
また洛中とを洛外を結ぶ道が御土居を横切る場所を、口と呼んだ。現在でも鞍馬口、丹波口などの地名が残っている。

2008年11月29日

賀茂別雷神社 楢の小川 

広大な境内にある神社の建物のほとんどは国宝や重要文化財に指定されている。品位がありゆったりと配置された建物と楢の小川、岩本社はこの上もなく歴史の重みを感じさせてくれる。平安京で果たした役割の重責がそのことを表現していると考える。





境内の中を北から南に、「舞殿」の下をくぐって流れている小川が楢の小川である。本殿脇より流れる御手洗川と御物忌川が合流し、神域を外れるまでの清流を言う。社家町を流れる下流部分は明神川と呼ばれている。
藤原家隆の歌、
風そよぐならの小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりける
は、祈願者の一切の罪が祓い清められるという上賀茂神社の祭祀、夏越祓の情景を詠んだものとされている。
穏やかな日差しと紅葉に迎えられ心豊かに参拝し辞した。

2008年11月28日

賀茂別雷神社 立砂

立砂
二番目の鳥居をくぐると、正面の細殿(拝殿)の前に白砂で作られたきれいな円錐形の「立砂」(盛砂)が置かれている。
 「立砂」は、ご神体である神山を形どったもので、神様が降りられる依代(よりしろ)を模している。と語られている。鬼門などにまく清めのお砂として別けて頂けるのか袋詰めにされて側に置かれている。また、料亭の入口の盛塩の起源にもつながるものであろう。



久しぶりに訪れたが、多くの人が訪れ賑わっていたが広い境内をのんびり紅葉を訪ねながら散策し静かな雰囲気を楽しんだ。

2008年11月27日

賀茂別雷神社(上賀茂神社)

賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじや)、上賀茂神社を訪れた。
一の鳥居をくぐると広い芝生が参道を歩くと二の鳥居の、玉垣の内に細殿が土屋、楽社があり古典的な美しい景観が好ましい。楢の小川の橋殿、本社の丹塗りの楼門、回廊そして本殿、権殿そして檜皮葺の屋根そして葵祭りの雅やかな祭儀がおこなわれる場所としての格のある景観が人の心を惹きつけてやまない雰囲気がある。


楼門



御所舎と紅葉

2008年11月26日

秋の散策道





携帯画像の秋の宮川と岩園けやき通りの散策道の風景です。車ではすぐに通過してしまう道路も秋の風情を楽しみながら歩くことで日頃と異なった風景が楽しめます。
5.2メガの携帯画像も信頼できる画像で残せることに驚いています。

2008年11月24日

小倉山

小倉山は京都市右京区嵯峨町小倉山に位置する標高296メートルの山で、保津川をへだて嵐山に対する紅葉の名所として知られる。嵯峨野散策では小倉山の紅葉が訪れる寺院に彩りを添えている。
だがこの山に登る人は比較的少ないようだ。
嵯峨野を訪れ少し時間を見つけ嵐山清滝パークウエイーの展望台から嵐山へ向かった。

山頂付近は松や紅葉が繁り展望はない中腹には京都市内が展望できる箇所がある。そこからは雙ヶ岡、京都御所そして大文字の火床と東山の山並み京都駅が一望できる。

大悲閣で、この山頂が嵐山で中世には山城があった。
桜の咲く頃の山も風情がある。

嵐山公園亀山からの保津峡渓谷の秋の夕景、あきることなく眺めることができる。
画面右にトロッコ列車が走る。そのため通過する時刻が掲示されている。

2008年11月22日

保津峡の秋


保津下りの舟下りの川は桂川として統一された河川名であるが、京都の美山町佐々里峠の源流とし上桂川、桂川そとて大堰川、保津川、桂川として名を変えて鴨川と合流し木津川、宇治川と合流し淀川となる河川である。
この画像はトロッコ保津峡駅を嵐山清滝パークウェイの展望台から眺めたもので、1606年(慶長11年)角倉了以が河川開削し丹波と京都の船運による物流を発達させた区間でもある。この川の部分は保津川と呼ばれる。
川が隠れる場所に保津峡駅がある。

この川は桂川と呼ばれ遠くに市内と京都タワー、京都駅そして伏見稲荷や名神高速道路近くに渡月橋がみえる。
久しぶりに嵯峨野の小倉山に登り晴天に恵まれ錦秋の京都の展望を楽しんだ、

2008年11月20日

神戸北野のジャズ





神戸の地に1924年(大正12年)日本初のジャズバンド「ラッフィング・スターズ」が誕生して今年で84年経過している。最近ではマスメディアはあらゆることが東京が発祥したとのコメントが多いようだ。
日本のジャズの発祥地としての神戸の歴史をこのブロンズ像がしめしています。北野の街ジャズライブハウスで時折楽しんだことがあり懐かしく思った。

2008年11月19日

変貌する梅田周辺



大阪駅付近は50数年にわたり大型都市開発が継続している。そしてなお新規計画があり実現すれば200メール近い高層ビルが建ち並びい一変することだろう。この世界不況としか云いようのない時代を迎え、そして遅きに失したがこの変革を画像に収めて行きたいと思う。

市場原理主義だの規制緩和だのと特定集団のもののための暗愚な施策で普通の人が普段に立ち寄ることができた店舗もレストランも隔絶され立ち寄ることもできなくされてしまった。立ち寄ることもあるが人は少ないようだ。ワーキングプアー、格差社会そしてデフレさらに行き着くところは所得減少と物価値上げ暗い未来ではこのような安っぽい店の乱立は仕方がないのだろうか。
今まで見られない大阪駅前の光景である。

2008年11月17日

生田の森





生田神社の北側には大きな森があります。ここは「生田の森」と呼ばれており、 古くは旧生田川(現在のフラワーロード)のあたりまで及ぶ広大な森林であった明治の画像から伺うことができる。その後周辺にはビルが建ち並び、面積は小さくなってしまいましたが、都心部にある貴重な昔からの森林として、いまでも大切にされています。樹齢800年の楠の大木もあります。
平家物語にも登場する一ノ谷の戦いの森でもあります。
社殿は、1938年(昭和13年)の神戸大水害、1945年(昭和20年)の神戸大空襲、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災と何度もの天才事変、戦災等の被害に遭い、そのつど復興されてきたことから、「蘇る神」としての崇敬も受けている。


折鳥居
この鳥居は江戸時代に建立され、1854年(安政元年)の大地震で支柱を残して崩壊し、道路脇に残り「生田の折鳥居」と名付けられ、交通安全にご利益があると信仰され、生田の森に移された。
敷石は1979年(昭和54年)道路工事の際に出土したものである。

2008年11月16日

紅葉 神戸森林植物園





紅葉の季節に訪れたのは初めてではなかったか。ハイキングの際付近には立ち寄っている。
広大な敷地に日本をはじめ世界の紅葉する樹木が楽しめた。どうしても、いろはかえでなど赤く染まる樹木を撮影してしまった。
また小春日和の陽をうけて弁当の食事はことのほか美味だった。

2008年11月15日

紅葉





神戸森林植物園に六甲山を縦断する曲がりくねった道路を通り向かった。頂上付近は紅葉が訪れていた。
訪れた植物園は観光客や遠足の生徒の散策する人は多いが広大な園内では人とは会うことは少ない。
四季を通じて楽しめるようにと植物は集約されている。
長谷池周辺はカエデ類が植えられ今を盛りと紅葉していた。撮影する人、絵を書く人とそぞろ歩きを楽しむひとがあとを絶たず秋を堪能した。

2008年11月14日

続秋の神戸北野





トーアロードを歩くため山本通りを経由し三宮へ向かう。ショーウィンドと異人館の中華料理店を撮影する。
再訪しさらに国名に見て歩きたいと思う。

2008年11月13日

秋の神戸北野





北野通りは車でよく通り観光の人を避けながらゆっくり走るが、長年立ち寄ったことがなかった。子供が小さな頃、風見鶏の家、うろこの家などよく訪れた。
三宮に所要があり20数年ぶりにとハンター坂を登りトーアロードを探索した。阪神震災前とは異なっているのに驚かされた。どこにでも存在する観光地と同じ異人館街としての雰囲気がなくなっている。
なぜだろうかかと見ていると、店舗が東京に似せたのか画一的なつくりと構造物を過剰に設備し街の環境破壊していることに気づいた。
しかし記憶にある思い出の道を通るとかっての姿を留めていることに安心させられた。

2008年11月11日

梅田貨物駅



地上173メートルの展望台から撮影。新大阪・京都へ向かうJR特急くろしお号と吹田方面に向かうDlが牽引する貨物列車が見える。
この風景は大阪駅の北側すぐにある。

2008年11月10日

芦屋の地蔵尊



西国街道の近くにあり石垣を背景にして祀られている
常盤地蔵尊。震災後整備された。
Wakamiya-cho Ashiya

2008年11月9日

2008年11月8日

史跡神戸事件発生地


神戸事件発祥地

備前藩の大砲


神戸事件とは、1968年(慶応4年・明治元年)1月11日、神戸三宮神社前で西宮警備のため東へ向かう備前藩(現・岡山県)兵が隊列を横切ったフランス人ともイギリス人ともいう水兵を滝善三郎が槍で負傷させた事件である。江戸幕府滅亡後、明治政府初の外交問題となった。
この事件により一時、外国兵が上陸し神戸中心部を占拠するなどの動きにまで発展したが、その際に問題を起こした隊の責任者であった滝善三郎が切腹する事で一応の解決を見た。相前後して堺事件が発生し、共に外国人に切腹による行為をより深く印象付けた。
この問題の解決手段により薩英戦争等にも進展する可能性もあり、香港や上海の様に理不尽な占領下に置かれる事態も起こり得たことから、2月9日滝善三郎が切腹し犠牲によって危機回避がなされ解決した。この事件と解決させたことは日本史の流れにおいても重大な出来事であった。

2008年11月7日

阪神御影駅


阪神御影駅に入駅する5000系普通電車。

下り出発信号機

かっての貨物ホーム。
そして来春の春を目指して近鉄車両が運転されている。
鉄道マニアではないが、駅に立ち寄った際に可能な限り撮影することにしている。橋梁の写真を撮影しているので機会も多いだろう。

2008年11月6日

続昔の酒蔵





澤の鶴酒蔵資料館。
匠の技か、工芸用品のような酒樽、荷車など見ていて飽きない酒造用の道具が保管されている。阪神大震災で倒壊したが復旧させ展示させている。受益役人の発想では実現できない資料館であることを知らされた。
再び訪れきめ細かい画像を残したいと思う。