尼崎市教育委員会の資料によりますと 元和3年(1617)に大名戸田氏鉄が、尼崎城の築城に取りかかり、城下町を建設するにあたって散在していた寺院を城の西にあたる現在の場所に集めて寺町をつくった。
寺町の区画は当時からほとんど変化なく、現在39ヘクタールの区域に11寺院が集中しています。1989年(平成元年)に尼崎市の「都市美形成地域」(歴史上特長のある地域として保存すべき地域)に指定された。
江戸時代、尼崎は城下町として栄えていました。尼崎城は今の大津から5万石の尼崎藩主となった譜代大名戸田氏鉄(とだうじかね)によって建てられました。外様大名の多い西国や山陽道を守るため大阪の西を固める重要な拠点として、城内の総面積約13万平方メートルの広さに、4重の天守閣を持つ本格的な近世城郭を築城させました。新城の建築と共に進められたのが城下町、寺町の整備でした。寺町の寺も譜代大名戸田氏鉄が近江膳所から尼崎へ所替えを命じられた際には本興寺、全昌寺が尼崎へ移転した。大名の所替えにより寺院も尼崎から移転している。
現在は11か寺が軒を連ね、国指定の重要文化財、7件をはじめ、県、市指定の文化財も多く残されている。
本興寺三重の塔
本興寺 本堂
本興寺
法遠寺
佐々成政墓碑 |
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