平家物語だけでも祇王、祇女、仏御前そして小督らが隠棲し、横笛の哀れな姿そして新田義貞の妻勾当内侍が庵を結んだ。
「平家物語」は解説とともに原文を読んだのですが平安時代に豊かな感性で琵琶法師が物語として語り継がれていたことを実感させられた。
そして昭和のはじめには無住だった祇王寺に高岡智照尼が入山し大覚寺の尼寺となった。という歴史があるからだろうか。
祇王歌碑 判読不明ですが・・・・・・
萌出るも枯るるもおなじ野辺の草
いづれか秋に逢はでははつべき 祇王
と刻まれています。
と刻まれています。
宝筐印塔 左清盛供養塔 右祇王・祇女、母刀自の墓
大覚寺門跡の塔頭で真言宗大覚寺派の寺院。
「平家物語」で、平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が、清盛の心が離れてしまい尼僧として当寺で余生を送ったことで知られる。先にあげた歌碑の一首は清盛に追放された際に、障子に書いたとされている。
また、紅葉の名所としても知られているが四季を問わず魅力がある。
NIKON D3 AF-S VR NikkorED 24-70mmf2.8 G
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