略記によりますと
天台宗大原寺下院にあたり、延暦寺の別院である。
仁寿年間(851年~854年)、円仁が入唐して学んだ梵語の仏教歌謡である梵唄(ぼんばい)などの声明(しょうみょう)の修練道場として創建したものである。
天台宗の顕真が、法然らを勝林院に招き、専修念仏について宗論を戦わせ、法然の専修念仏が他派を論破した「大原問答」の遺跡として知られる。 このとき阿弥陀仏の御手から光明を放ったとされ、本尊は「証拠の阿弥陀」と称される。
1012年、寂源(じゃくげん)が、下院にあたる勝林院を中興し、その後宝泉院、実光院、普賢院、理覚院、禅龍院など49坊が林立し「魚山大原寺」として興隆した。
なお上院は1109年良忍が三尊院として建立した来迎院である。
なお上院は1109年良忍が三尊院として建立した来迎院である。
阿弥陀如来像
本尊の裏には、普賢菩薩像と明治初年神仏分離、廃仏稀釈の政策で菅原道真公の本地仏として信仰されていた北野寺が廃絶され十一面観音像が保存されているとのことです。
八坂神社の観慶寺の薬師如来像も東山三条の大蓮寺に保存されています。このような事例は多々ありますが、かっては京の都の人々から日本の歴史と文化財を守るという懸命な意識と意気込みが感じられますね。
宝泉院と実光院の本坊にあたりますが、霊跡寺院と化して、重厚な本堂が建っているのです。
苔の上をまろぶがごとく流れゆく呂律の里の弥陀の聲明
平井乙麿
大多数のみなさんは、来迎橋から中を覗いて、そのまま宝泉院の方へと向かってしまうようです。本堂の柱の彫刻は一見の価値がありますね。
NIKON D3 AF-S VR NikkorED 24-70mmf2.8 G
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