堂島川の大江橋と渡辺橋の間に架けられている。歩行者専用の橋で、ANAホテルの前に階段があり、その横に堂島米市場跡記念碑がある。
この橋は新しく、構造も橋脚が端に寄せられ、片持ち梁の橋桁でクサビのような形状としている。橋の上の幅員は広めになっており、くつろげる空間が確保されている。ロケーションもよく阪神高速1号線そしてビシネス街の夜景の撮影も楽しめる事が可能である。
堂島米市場跡碑
掲示には、
江戸時代の初め、各地から運ばれた米の取引は、土佐堀川沿いの北浜の路上で行われていた。この「北浜米市」は、中心となっていたのが当時の豪商淀屋であったため「淀屋の米市」とも称された。
その後、元禄 10年(1697)頃、交通の妨害になることや、当時開発されたばかりの堂島新地の振興策として、米市は堂島に移されることになった。
享保15年(1730)、江戸幕府は、ここで行われる正米商(しょうまいあきない・米切手を売買する現物市場)と帳合米商(ちょうあいまいあきない・帳面上で売買する先物市場)を公認し、堂島米市場の相場は、全国の米相場の基準となった。
堂島米市場は「浜方」、「大坂米市」とも呼ばれ、日本における取引所の起源とされるとともに、世界における組織的な先物取引所の先駆けとして広く知られている。
NikonD600 AF-S NIKKOR24-70 f2.8GED
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