大講堂のある広場には白砂の広場を囲んで、右(北)に大講堂、正面(西)に食堂、左(南)に常行堂の3棟が「コ」の字形に並ぶ一画は、中世の寺院景観を現在に伝えています。これら3棟を総称して「三之堂」と呼ばれています。
「三之堂」は元徳3年・元弘元年(1331年)の落雷、永享8年(1436年)の火災で焼失し、現存する各堂は室町時代、15世紀半ばの再建である。大講堂に接して、築地塀で囲まれた本多家廟所がある。元徳3年・元弘元年(1331年)の落雷で焼失するまで、本多家廟所の地には五重塔が建っていた。
五重塔を含めたものが本来の伽藍配置であった。塔は再建されなかったが1300年前の面影が伝承されています。
何時訪れても満足しています。今回は腰痛のためほほとんど歩くことが出来なかったのは残念でした、
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