適塾は大阪北浜のオフィス街に、江戸時代の町屋ほ現代に残し我が国の蘭学塾の唯一の遺構として重要文化財に指定されています。
緒方洪庵は備中足守藩に生まれ江戸、長崎で蘭学を学び天保9年(1838年)大阪で適塾を開ききその後大村益次郎、橋本左内そして福沢諭吉と全国から藩主の命により入門生が送られほど適塾の評価は高かった。
洪庵は嘉永2年(1849年)に当時古手町に多数の天然痘により亡くなる人が多くさの対策のため種痘所をつくり種痘事業も開始し全国に広げた。その歴史が緒方ビルの壁面に記録されている。
優れた洋学者、蘭学者として洪庵の薫陶を受け当時の日本はこれらの感染症が流行する状況で日本の衛生行政を確立した長與専斎、日本の近代化につくした人物は数多くいた。幕末の洋学研究者である。
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