適塾における教育は蘭所の会読でしたが、この予習のために塾生が予習した辞書がヅーフ辞書(長崎出島のオランダ商館長ヅーフがハルマの蘭仏辞書に拠って作成した蘭和辞典)で適塾に一部所蔵のため、塾生は下記の画像のヅーフ部屋と呼ばれる部屋につめかけて奪い合いつつ使用した。と記録されています。
塾生大部屋中央にある12.5cm角位の檜柱の四面にあり、その刀傷の数はあまりにも多その大きさや形も夫々の個性があり、種々雑多というところでした。1000人近くの若者が学んだ時の若さの感情発露か何かを発散させるための痕跡であるか貴重な塾生の記録であるようです。何を伝えるために刻まれたのかと判読するためしばし観察したのですが残念ながら全く不明でした。
二階にある塾生大部屋は約30畳で一人あたり畳1枚が割り当てられていたと解説されていました。180年前に橋本左内、大村益次郎そして大鳥啓介、長與專斎とと福沢諭吉が寝ても起きても勉強もこの大部屋で多くの塾生が学んだのかと思うと感慨がひとしおでした。
ヅーフ部屋
塾生大部屋
部屋の中心に柱があり刀痕が多数の残されています。塾生大部屋中央にある12.5cm角位の檜柱の四面にあり、その刀傷の数はあまりにも多その大きさや形も夫々の個性があり、種々雑多というところでした。1000人近くの若者が学んだ時の若さの感情発露か何かを発散させるための痕跡であるか貴重な塾生の記録であるようです。何を伝えるために刻まれたのかと判読するためしばし観察したのですが残念ながら全く不明でした。
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