芦屋の地には古墳時代では、前期段階から翠ヶ丘台地上にいくつかの有力古墳が築造される。前期(4世紀)に築造された古墳としては、現在「阿保(あぼ)親王墓」として宮内庁管理されている阿保親王塚古墳があり、中期には5世紀後半段階の金津山(かなつやま)古墳、5世紀後半~6世紀初頭の打出小槌古墳が造営される。
に入ると、芦屋川右岸に立地し、渡来系氏族との関係が注目される城山・三条古墳群や八十塚(やそづか)古墳群など、横穴式石室を基本とする規模の大きい群集墳が次々と築造されるようになりましたが現在は宅地開発のため破壊されごく一部の古墳が残るのみです。
岩ヶ平氏支群第14号(円墳15㍍)は、鬱蒼とした木立の中から観察としますと円墳の面影が残っています。
画像 円の行者像 古墳の上部に設置されている。
sony NEX-5 E16mm F 2.8
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