2015年1月5日

宇宙が始まる前には何があったのか

「宇宙が始まる前には何があったのか?」ローレンス・クラウス著、青木薫訳文芸春秋刊(2013・11)が発行され購入しノートにメモしつつ人智を越えた研究成果に圧倒されしばし熟読させられました。
そのメモから整理し宇宙について考えさせられたことについてわたしなりに整理してみました。


 宇宙物理学には全く無知で知識もなかったのですがこの書は哲学的な面もあり極めて複雑な著書だった。宇宙物理学者による衝撃の書で、本書に読み取れるテーマは、「人間が頭のなかだけで考えることなんてたかが知れている」ということだった。
 2000年以上にわたり神学者、哲学者そして科学者などをはじめ多くの人々の心を捕らえてきた疑問とを結びつけた宇宙論ではあるが、137億年前に何もないところから何かが生じそのプロセスが空間と時間のはじまりのときにビッグバンが大々的に起こった、それに続いて以下フレーションが起こり宇宙とその内部に含まれているもの全てが一瞬のうちに28桁も膨らんだ。と計算された。
 宇宙機関の衛星プランク(2009年打ち上げ)がマッピングしたのは、およそ137億年前の宇宙の姿ビッグバンからわずか38万年後の宇宙だった。
 精度の高いデータから宇宙の幾何学についてはるかに正確なデータが導きだされ宇宙が平坦だということを裏付けられた。そして宇宙誕生直後の光を人類はついに見ることができた ビッグバンによりにより宇宙は誕生したと解き明かされつつあります。
 日本の 学会においてもハワイ島のマウナ・ケア山山頂(標高4,205m)にある日本の国立天文台の大型光学赤外線望遠鏡である。年11月、アメリカ・ハワイ島のマウナ・ケア山山頂(標高4,205m)にある日本の国立天文台の大型光学赤外線望遠鏡である。すばる望遠鏡にとって最も遠い宇宙をこれまでにない感度で探査し、ビッグバンからわずか7億年後 (131億光年先) の宇宙にある銀河を7個発見されています。
 現代においてもいまなお哲学的かそれともユダヤ教やそこから派生したキリスト教、イスラム教の神々が6000年前に天地創造した。と神学論に転嫁されてしまっているようだ。それはそれとしても前期石器時代は30万年〜260万年、中期石器時代は30万年から3万年前、後期石器時代は3万年から1万年前で人類はすでに生息していた。自宅近くの遺跡から16,000年前のナイフ型石器が発掘されている。神学上では人類はどこで暮らしていたのだろう。これでは普通のものの考え方をする者たちには誰一人として理解も納得もできないだろう。

ⓒNASA
 宇宙の誕生については歴史的に見て太陽が地球の周りを回っているという哲学論とか神学論という人間の限界のある頭脳のみで論議されてきたが、137億年前に真空の状態から粒子と反粒子により宇宙が誕生しいまなお膨張しているという事実が現在の宇宙物理学者があらゆる機器、技術を駆使し事実を確認した研究成果であり今後もより詳細になると思いつつ、長年の疑問について私なりに読み解いた宇宙の始まりと終わりについて知らされました。
 そして仮説ですが、10の34乗年後には原子核をつくっている陽子や中性子が崩壊し、電子や陽電子、ニュートリノ、光子の素粒子の世界になるといわれています。素粒子とは物質を細分化した最小の粒子です。原子核がなくなるということは、通常の物質世界が消滅することを意味するとのことです。  
 これは、人間も地球も星も銀河も、宇宙の構造物がすべて消滅してしまうという、恐るべき事態です。さらに、10の100乗年後にはモンスターブラックホールすら蒸発してしまい、最終的に宇宙に残るのは素粒子のみ。おそらく無色透明の世界になるとのことです。しかしこの間も宇宙は永遠に膨張し続け、冷え続けていくんです。ダークエネルギーが一定で減少しない宇宙の終焉は、いずれゆっくりと死んでいくような凍てついた暗黒世界に戻るとされています。
 宇宙の生成と終焉について一応の答えを与えてくれるが究極の解にはなっていない。
 つまり始まりがあれば終わりがあるということです。
 この書により長年の疑問が解消したため記した次第です。137億年前に真空の空間から粒子と反粒子により宇宙が誕生しいまなお膨張しているという事実が現在の宇宙物理学者があらゆる機器、技術を駆使し事実を確認した研究成果であり今後もより詳細になると思いつつ、長年の疑問について私なりに読み解いた宇宙の始まりと終わりについて知らされた頭脳で考えた理論ではなく人間の知恵と知識が確かな根拠に基づき研究された極めて高度で知的で詳細な智慧のある情報を知らされました。
 しかしながらソクラテスやアルキメデスには言及している著者ではあるがインドの「宇宙開闢の歌」には全く触れていないのは極めて残念でありました。
 インドには哲学的思索の古くて長い歴史があった。紀元前12世紀におよそ約3000年前にサンスクリット語で編纂されたインド最古の文献『リグ・ヴェーダ』には「宇宙開闢の歌」(辻直四郎 訳)という歌が残されています。
 この歌は冒頭の一句「無もなかりき」にちなんでナーサッド・アーシーティア讃歌とも呼ばれる。この歌はリグ・ヴェーダの哲学思想の最高峰を示すものと言われる。以下のような歌である。
 そのとき無もなかりき、有もなかりき。空界もなかりき、その上の天もなかりき。何ものか発動せし、いずこに、誰の庇護の下に。深くして測るべからざる水は存在せりや。そのとき、死もなかりき、不死もなかりき。昼と夜との標識もなかりき。
 かの唯一物は、自力により風なく呼吸せり。これよりほかに何ものも存在せざりき。太初において、暗黒は暗黒に蔽われたりき。この一辺は標識なき水波なりき。空虚に蔽われ発現しつつあるもの、かの唯一物は、熱の力により出生せり。最初に意欲はかの唯一物に現ぜり。こは意の第一の種子なりき。詩人らは熟慮して心に求め、有の親縁を無に発見せり。彼らの縄尺は横に張られたり。下方はありしや、上方はありしや。射精者ありき、能力ありき。自存力は下に、許容力は上に。誰か正しく知る者ぞ、誰かここに宣言しうる者ぞ。この創造はいずこより生じ、いずこより。神々はこの創造より後なり。しからば誰かいずこより起こりしかを知る者ぞ。この創造はいずこより起こりしや。そは実行せられたりや、あるいはまたしからざりや、―――最高天にありてこの監視する者のみ実にこれを知る。あるいは彼もまた知らず。・・・・・・
 この記録の特徴的なのは、ある種の中性原理から宇宙が自然発生したと説いていること、そして最後にこの創造がどこから来たのか、それは神さえも知らぬかもしれない、という形で終わっていることである。つまり現在の宇宙物理学者の到達した研究結果と核心はまったく変わらない。驚くべき描写であるからです。
 さらには5世紀頃インドでは「0」の発想が認識され現在の1から0までの数字が確立しその後に世界に広がったとのことです。0の発見もこのリグ・ヴェーダの無より認識されたとされています。この無という概念は「何もないという状態」ではなく「無という状態が存在する」という視点です。
現在の物理学の最高権威の研究と変わらない思考か2000年前に定着していたことに驚愕させられています。

 星のよく見える森や砂漠で空に向かって手を伸ばして親指と人指指で10円玉程度の小さな円を作ってその円の中に星が見えない暗い領域を現代の大型望遠鏡を使えばおそらく10万個ほどの銀河が見えるだろう。その一つひとつに数10億個の星が含まれていることが知られていることも教えられ
時々星空を眺めてこの書を思い出しています。


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