夢 ひらく 作家田辺聖子の誕生
「本を書く」のを夢見ていた」
1947年(昭和22年)樟蔭女子専門学校の卒業式を迎えた田辺聖子は、翌日から金物問屋で働きはじめ7年間にわたるOL生活がはじまりました。
空襲で写真館が全焼したうえ父貫一を終戦の年に亡くしていたため働いて家族を養わなければならなかったからです。
事務員として働くかたわら「文藝首都」など同人誌活動も活発に行いました。1956年(昭和31年)「虹」で大阪市民文化祭新人文藝懸賞第一席に入選。翌年には「花狩」が婦人生活の懸賞小説に佳作入選し、連載がされることになれました。
そして36歳の時「感傷旅行センチメンタルジャーニィ」で芥川賞を受賞。作家の「タマゴ」が"作家田辺聖子"として孵化したのです。
夢はばたく ひろがる著作活動
私なりの「歌」を歌っている
プロ作家デビューしてからの田辺聖子は多忙に次ぐ多忙。次々舞い込む執筆依頼に応えて生み出す作品は大喝采で迎えられました。
田辺作品にあふれるユーモア感覚こそ田辺聖子の深い思いと優れた文章力の たまものだ。
夢はなやぐ
遊びごころで人生を豊かに
正しいことを信条にしたらあかん・・・・・・楽しいことをしたらよろし
田辺聖子は、小説ばかりではなく、遊びも達人、神戸まつりでは、サンバを踊り、カモカ連を結成して阿波踊りに繰り出しツチノコ探検隊に参加し、遊人達と宴会を催し故川野氏とカラオケに興じ、作品にあらわれるユーモア感覚は実人生の遊びごころがそのペースに。
美味しいものを愛し美しいものを愛する田辺聖子の暮らしは苦み渋みを通り越した甘さに満ちているからこそ豊かに実っているのです。
年度毎に整理して展示されている田辺聖子の著書 圧巻!!
よく見かけた田辺聖子愛用のきらびやかな衣装の展示
文学館の説明にあるように田辺聖子が国文学を学んだ樟蔭女子大学で、田辺聖子の愛用品と著書に囲まれて作者の創作の場を感じることができる。作者の作品の原点である書斎を見て田辺聖子の数々の名作がここで生まれたのかとそ撮影しつつ他の文学館にない雰囲気を感じ取ることができた。
コメント