新緑の奈良の古刹です。
室町時代の山門と築地塀が極めて古寺の風格を感じさせられアングルを変えて撮影させられました。東大寺、興福寺から遠くもあり拝観に訪れる人は驚くほど極めて少なく静かなに満ちていました。
平城京に都が移された時の藤原不比等の邸宅であり、娘である光明皇后が邸宅を相続したことから皇后宮となった。天皇家の私寺院となり皇后宮廷内寺院として天皇家を支えていた歴史があります。海龍王寺は隅寺としてはじまった。
さらには平安京に都は移り鎌倉時代は、戒律の道場として存在したが、応仁の乱の影響を受け江戸時代には衰退し、天皇家ゆかりの歴史ある古寺も明治の変な廃仏毀釈で堂塔を失いその後は荒廃にまかされていたが、心ある人により昭和40年から西金堂、経蔵の解体修理を行い現在に至ると解説されています。
歴史の重みが古寺としての品格を感じさせられるようです。
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