海龍王寺は天平3(731)年、遣唐使として中国に渡っていた初代住持の玄昉が、一切経と新しい仏法とを無事に我が国にもたらすことを願い、光明皇后によって創建されたとも伝わっており、お寺の場所が平城宮の東北の隅に当たることから「隅寺あるいは角寺」とも呼ばれている。
玄昉が唐より帰国の途中、東シナ海で暴風雨に襲われた際に、海龍王経を唱えたところ、かろうじて種子島に漂着し、奈良の都へ無事に帰ることが出来たことがきっかけで遣唐使の無事を祈願する寺院となり、現在も旅行・留学に赴く方々の信仰を集めている。
境内には創建当初からの建物である、西金堂(重要文化財)と、堂内に安置されている高さ4メートルの五重小塔(国宝)が残り、特に五重小塔は天平時代に作られた塔の中で、唯一現存している五重塔として価値が高く、西金堂とともに天平時代の建築様式を現代に伝える貴重な建物となっている。奈良時代の寺門勅額、鎌倉時代の経蔵、室町時代の山門、筑地塀と江戸時代に建てられた本堂には、鎌倉時代に造立された本尊の十一面観音立像(重要文化財)が安置されている。
国宝五重小塔、重文西金堂は「光明皇后宮内に残る唯一の奈良時代建造物」であり宮廷寺院の伽藍として現在まで残されている。
山門
本堂
五重小塔
本堂から境内風景
古都奈良の名刹新緑の海龍王寺です。
以前訪れてから数十年経過しています。その頃、荒廃した寺院は山門は閉鎖され伺いしれない状況で崩れた土塀の痛々しさだけの風景が残っていました。
まるで盛夏のような日差しを浴びて不退寺から一条通を東へ向かい山門を入ると鬱蒼とした木立の参道で心も体も癒された思いで境内にはいりました。
奈良時代から江戸時代までの伽藍と十一面観音像、文殊菩薩、愛染明王と本堂、金堂と参拝し古い歴史を偲びました。
コメント