入り口の掲示には
弘長年間(1261-1264)に西大寺の釈尊を講じて創建した律宗の寺院と伝える。応仁の乱後衰徴したが、元禄2年(1689)に鉄牛禅師が堂舎を整備し、この時に黄檗宗に改められた。
現在の本堂は、この時期のものでその後方中軸上に位牌堂、開山堂、寿塔が一列に並んでいる。
本堂は、元禄10年(1697)造営により黄檗様式の特色をもちながら和洋の色濃く見られる。内部両側に板敷きの床を張って修業の場としており法堂と僧堂の機能を兼ね備えたものとなっている。
一方後方の寿塔は、方2間宝形造りの小規模なもので正面のみに設けられた2段の基壇上に建つ。
造営年代は、本堂と同じ元禄10年である。また位牌堂は江戸時代中期の再建と考えられる。
本堂以下これら一連の建物は、京都市内における数少ない黄檗宗寺院を代表するものとして貴重である。中でも開山堂と寿塔は黄檗宗寺院の特色をよく残しており昭和59年6月1日京都市有形文化財に指定された。
また、本堂への参道は途中に石段が設けられたり両側に樹木が生い茂りその構成に特色が見られる。当境内はこの参道を中心として建物、石段、樹木等周辺の自然と一体となって優れた景観としており本堂以外の建物と同様京都市文化財環境保全地区に指定された。
とある。
観光客はほとんど訪れることのない寺院で。
弘長年間(1261-1264)に西大寺の釈尊を講じて創建した律宗の寺院と伝える。応仁の乱後衰徴したが、元禄2年(1689)に鉄牛禅師が堂舎を整備し、この時に黄檗宗に改められた。
現在の本堂は、この時期のものでその後方中軸上に位牌堂、開山堂、寿塔が一列に並んでいる。
本堂は、元禄10年(1697)造営により黄檗様式の特色をもちながら和洋の色濃く見られる。内部両側に板敷きの床を張って修業の場としており法堂と僧堂の機能を兼ね備えたものとなっている。
一方後方の寿塔は、方2間宝形造りの小規模なもので正面のみに設けられた2段の基壇上に建つ。
造営年代は、本堂と同じ元禄10年である。また位牌堂は江戸時代中期の再建と考えられる。
本堂以下これら一連の建物は、京都市内における数少ない黄檗宗寺院を代表するものとして貴重である。中でも開山堂と寿塔は黄檗宗寺院の特色をよく残しており昭和59年6月1日京都市有形文化財に指定された。
また、本堂への参道は途中に石段が設けられたり両側に樹木が生い茂りその構成に特色が見られる。当境内はこの参道を中心として建物、石段、樹木等周辺の自然と一体となって優れた景観としており本堂以外の建物と同様京都市文化財環境保全地区に指定された。
とある。
観光客はほとんど訪れることのない寺院で。
本堂を眺めながら楓がおおう階段をのぼりつめると本堂があります。植林と階段そして本堂のおりなす空間は心いやされる空間で京都でも数少ない優れた景観だと感じさせられました。
紅葉の時期も素晴らしい景観だと思います。不愉快で迷惑だと指摘されている悪質マナーのものは団体旅行で訪れることはなく静かに撮影もできることで鄙びた昔ながらの歴史ある場所をさがしたいものです。
NIKON D3 AF-S VR NikkorED 24-70mmf2.8 G ED
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