この地は古くは紀伊郡に属し、深草郷といった。紀伊郡とは紀氏一族がこの地に勢力を占めていたと伝え、紀氏と共に深草の地盤を秦氏が来住し稲荷ノ神を祀って農耕守護神と崇め、深草一帯の開発に努めた。しかし、蘇我氏滅亡後、紀氏も次第に勢力を失墜し秦氏のみが栄えた。
平安時代になると藤原氏の勃興により多くは藤原氏の荘園となり、一族の山荘、別荘の多 くが寺院と共に造営された。桓武天皇や仁明天皇以下多くの貴紳を当地に埋葬したのは当地が単に風光明媚であったたげでなく、深草は都の清浄の地とされていました。
ですから小野小町が更衣となった「仁明天皇」の陵墓のほか、第89代「後深草天皇」をはじめとして12人の天皇の御陵である「深草北陵」などが祭祀されています。
王朝時代の歌人が深草の風景を詠ったのは、往時はウズラや月の名所として嵯峨に劣らぬ所であった。在原業平もしばしば当地に住まいしたことがあり、深草少将は当地から小野小町の元へ百夜の間通い続けたなど古来、幾多のロマンスや伝説が今に語り伝えられている。
百丈山石峰寺は江戸時代の宝永年間(1704)に黄檗宗の禅道場として建立され歴史はそれほど古くはありませんが境内の奥の竹林に石仏羅漢像がまつられています。
羅漢像は伊藤若沖が下絵を描き彫られたとのことで表情豊かな禅道場と釈迦三尊像と名づけられた羅漢などあちこちに配置され魅力ある石仏でした。残念ながらここは撮影、スケッチ禁止ということで撮影はしていません。鄙びた感じのよい境内ですがよほど悪質なカメラを持った集団が乱入したことが理由のようです。
本堂から離れているためカメラマンはしたい放題だったのでしょうか。
グールプ行動での撮影でしたので夕刻となり時間の制約もありましたので魅力は紹介できませんが京の歴史の奥深さを教えられた行程でした。
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