南北朝時代に北朝初代の天皇となった光厳上皇が出家した後、1362年(貞治元年)この地を訪れて庵を結んだのに始まるとされる臨済宗天龍寺派の寺院で本尊は釈迦如来。詳名は大雄名山万寿常照皇寺という名称で格式のある寺院です。少し詳しく歴史を調べて見ますと
南北朝時代の天皇で両統迭立の原則により、後醍醐天皇の皇太子となり、後醍醐天皇が元弘の変により笠置山に逃れると、北条氏によって即位した。北条氏滅亡後廃位され、正平(南朝)6年(1351)の正平一統により北朝は廃止され、光厳・光明・崇光の三上皇は南朝によって幽閉される。賀生名で以前から夢窓疎石に帰依していた上皇は、出家して法名を勝光智とした。
この間に足利幕府は光厳上皇の皇子後光厳天皇を即位させて、北朝を再建した。延文(北朝)2年(1357)、京に帰還した光厳上皇は、光明天皇即位と同時に院政を行った。
晩年は丹波に隠棲し禅の修行に費やし、常照寺(現在の常照皇寺)で52才で没したとされています。
そしてこの地は、京都市北郊のはるか遠くの京北地区の山中に位置しています。
方丈の本尊釈迦如来立像は通常と異なり、天井近くの鴨居上の仏壇に安置され開山堂とも云われる怡雲庵(いうんあん)の建物は禅宗仏殿形式で、ここも鴨居のうえに仏像が安置され奥に袈裟を着した光厳法皇の肖像彫刻があり線香の煙が絶えることなく漂っています。
NIKON D3 AF-S VR NikkorED 24-70mmf2.8 G ED NX2
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