明石城は、今から400年前の1619年(元和5年)に、初代明石藩主小笠原忠政(後の忠真)が外様大名の多い西国の備えとして、徳川幕府2代将軍秀忠から命じられ築城されています。
この明石築城の開始と同時に町割りと設計が始まりました。町割りに采配を振るったのは剣豪・宮本武蔵とつたえられています。
当時完成した15ヶ町のうち、東魚町は城の正面に最も近い場所にあり、鮮魚や練り製品の店が集められその西にある西魚町は塩干物の問屋と小売りの町でしたが、この東魚町、西魚町あたりが現在の魚の棚商店街の東西の通りになっています。
この通りは全長350mのアーケードには、明石特産の海の幸や練り製品、海産物の乾物などを扱う商店を中心に約110店舗が軒を連ねています。
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